浅田農産会長自殺で、報道批判の声続々

放送日:2004/03/13

鳥インフルエンザの通報遅れで批判されていた浅田農産の会長さん御夫妻が、今週初め、自殺した。実は、報道陣の過剰な取材態度がこうした事態を誘発することを懸念して、私は先週水曜の時点で、自分のホームページに『鳥インフルエンザの浅田農産会見を敢えて評価する』というタイトルの文章をアップし、会長さんと、息子(社長)さんに、一種のエールを送っていた。
しかし、そのメッセージも通じることなく、それから4日後に、浅田会長は自ら生命を絶った。この最悪の展開を受け、私は今度は、同じホームページに『浅田会長の自殺と、メディアの自殺』というタイトルの一文を載せた。
この2本の文章をまずお読みいただいた上で、そこに寄せられた一般の方々からの反響メールを、抜粋して御紹介したい。(全て投稿者の承諾をいただいてある。)


■浅田農産の気持ちを慮る意見

【ある零細企業経営者から】
  もともとは個人の力ではどうしようもなかったいわば天災で、自分が築き上げてきた事業が一夜にして崩壊しそうなとき、動揺し、インフルエンザであってほしくない、と考え、半分はわかっていながら間違った行動をしてしまった、この農業経営者。 僕なんかも零細企業経営者のうちだから、ついつい「記者連中は、大企業のお抱えサラリーマンだから、こういう自営業者の置かれた絶望的状況など全く想像もできずに、間違いを居丈高に責め立てることができるんだろうな」、とハスに見てしまいます。



【ある養鶏業者の息子から】
  本日、浅田農産の浅田会長が自殺しました。これに関して、報道に携わっている人たちが「残念だ」といっているのには、首を傾げざるを得ません。確かに、浅田農産の対応には大問題があったことは、マスメディアの方々が指摘されている通りであると思います。
しかし、私は兼ねてより、浅田農産関係者は自殺するんではないかと危惧していました。街頭でテレビインタビューを受けるだけでも、一般の人はドキッとします。それが、全マスメディアの批判を全て背負った素人が、非国民のような扱いをされ、自殺に追いやられるというのは、想像に難くありません。あれだけメディア慣れしていない人に批判をしておいて、その人が自殺したことを「残念だ」で済ますほど、メディアというものは腐っているものなのでしょうか?もう少し、反省があってもよいのではないでしょうか?
現在のメディアがやっているように、
一農家を批判だけしていたのでは、間違いなく第2、第3の浅田農産が出てきます。生産者も、ただでさえ不振な養鶏業界で生き残るのに、必死だと思います。是非、生産者、消費者等、多様な意見を取り込んだ報道をし、現在のように偏狭な批判に終始する報道とは一線を画していただきたいと思います。



【映画監督・森達也さんから】
  下村さんのHPのメッセージ、全文読みました。今のこの世界に下村さんがいることが、涙が出るほど嬉しい(大袈裟かな。でも本当です)。
彼がどんな思いで首にロープを巻いたのか?最後にどんな言葉を老妻と交わしたのか?…自らを主語として想像できるメディアがあるのだろうか?…つらいです。



【実家が食品メーカーをしている、女子大生から】
  ニュースで見て、泣いちゃいました。
「ウチから出たと知れたらつぶれる」恐怖に負けて、(たぶん)思わず隠してしまった。 でも、被害の広がり、非難の大きさを見て、自分のしたことを必要以上に後悔して、追い詰められて、死んだほうがいいとまで思ってしまった。
でも、降ってわいた災難。「なんでウチなんだ」ってきっとずっと思ってたはず。
他のところは「ウチじゃなくてよかった」ってほっとしてたはず。
そんなの、あたしでも想像できるのに、なんでマスコミはあんなに攻めたんだろう。
人間「正しい」ことばっかりできるとは限らないのになあ。
べつに浅田農産がウイルス作ってばらまいたわけじゃないんだから。
実家が食品メーカーだからか、食中毒とかのニュースとか、今回の事件とかに敏感に反応しちゃうんです。ひとごととは思えないなあ。
多くの人にとって、ニュースの中のできごとが、「ひとごと」でなくなればいいのに

―――最後の一行には、大いに共鳴する。それを実現するために、私は“市民メディア・アドバイザー”業をやっているのだ、と言っても過言ではない。ただ、「別に浅田農産がウイルス作ってばらまいたわけじゃないんだから」という事実認識の部分は、寛大すぎると思う。最初に侵入したウイルスは、たしかに浅田農産が作ったものではないけれど、その後、手を打たずに増殖させてしまった分は、明らかに「浅田が作ってバラまいた」ウイルスだ。
誰かを責める時、全否定で掛かってはいけないのと同様に、誰かをかばう時にも、全肯定の姿勢では、間違える。日本には「盗っ人にも三分の理」という素晴らしい言葉がある。そう、“零分”でも“十分”でも、ないのだ。

■メディアの態度に疑問を投げかける声

【マスコミ各社に就職活動中の大学3年生から】
  自殺の翌日の新聞報道は実にあっさりしたものでした。記者という職業の人達の、心の中の熱さと冷静さはすばらしいと思うけれども、悪者を見つけたときのブレーキのきかない「熱さ」と、都合が悪くなったときの「冷たさ」にはうんざりです。



【発生以来、丹波町に日参している地元テレビ局記者から】
  浅田会長夫妻の自殺については、僕も下村さんと同感です。
地元・丹波町民に対する取材攻勢にも、僕は疑問を感じていました。
高田養鶏場の鶏に陽性反応が出た次の日、近くの中学校では期末試験が行われました。
しかし上空を取材のヘリコプターが低空で飛び続けるんです。丹波町役場も自粛を要請しましたが、なかなか実行されませんでした。(結局、最後は自粛されましたが)
町役場からの申し出を無表情で聞き流し、パソコンに向かう各社の記者の表情は、忘れられません。
「自分はなんのためにここにいて、なにを伝えているんだろう。ただ傷つく人を増やしているだけではないだろうか?」と、取材をしていて感じることが、本当に多いです。
他の局や社の記者も、空き時間に話をしてみると「こんなことに意味があるのかな?」とそれぞれ悩んでいる声も聞かれました。
現場の記者も感じていて、頭ではわかっているのに、どうしてできないんでしょう?



【去年、ある社会問題で批判的に報道された某公共機関のスタッフから】
  下村さんがHPで看破している通り、「なるべく無難な模範回答で逃げて、ひたすら頭を下げ続けて、嵐が頭上を通り過ぎるのを待とう」というテクニックを、組織内では指導されています。
そして、嫌気が差して、貝になってます。当初、幹部は取材にそれなりに応じていましたが、今は、逃げ回ってます。改革への意欲を失っているのが現状です。報道関係者は何をしたいのだろうって、ずっと考えてます。

―――取材のされ方に嫌気がさして、本来の改革意欲にまで悪影響が及んでいるという。≪結局何がしたいんだ≫という報道陣への問いかけは、非常に根本的で、重い。
「真実を追求したいんです」と答えるのなら、情報源を“貝”に追い込むような手法はとるはずがない。つるし上げ型の詰問は、本当に、する理由が分からない。


■具体的にどうしたらよいのか

【メディア教育に熱心な、ある高校の先生から】
  こういう時のために「市民のためのメディア対応の組織」を作らなくてはいけないと思った時があります。大企業のように《広報》という組織があり、少なくとも互角に戦える仕組みがある所と同様に、今回みたいにほとんど無防備な弱小企業や市民がマスメディアの取材攻勢に対処できるよう《アドバイスする組織》があっても良いと思います。
マスメディア側には、自制する仕組みが機能しないのですから。愚痴を言っても仕方ないけれど、「報道のシステムは学習ができない仕組みなのでしょうか」

―――いわば“流し”の広報部、というところだろうか。誰かが集中取材を浴びるような状況になったらすぐに駆けつけて取り仕切る、マスコミ対応専門の緊急援助隊のようなシステムを、というアイディアだ。いろいろ難しい問題も孕むが、基本的には大いに賛同したい発想である。


【来月からテレビの制作会社に就職し、AD業務から始める女の子から】
  4月から私も作り手の側に立つ人間になるわけですが、私は「報道とは、よりよい明日を生きる為に、今日を無駄にせず、明日のための情報を伝えること」だと思っています。
悲しみ、怒りだけではなく、冷静に問題点の根底を提示すること、明日のために何を学ぶことができたのか、それが報道する側に必要なことではないでしょうか?!
新人ADが強い意志を持って働くことは難しい業界のようですが、初心を忘れずに出来ることからやっていきたいと考えています。大きな海原に飲みこまれないよう、必死で小船の舵取りをしていく意気込みです!



【市民メディアで発信をしている人から】
  もし丹波町や姫路市に地域のラジオやテレビがあって、地元の人が同じ地域の友人として会長や社長にマイクを向けていたら、もっと違った報道があったはずだと思っています。罹患の経験や原因解明が、地域に共有され、お互いに「そういうときはどうすりゃいいのか」を考えあうインタビューにすることで、地域社会が学習できる貴重な機会だったのに、と思うばかりです。

―――事件が起こった時だけ外からやってきて、取材が終わったら大都市へ引き上げていく大手メディアではなく、≪その場に居続ける人達≫が取材すると、自ずと責任感が違ってくる。これも、常々お伝えしている市民メディアの長所だ。

まだまだ沢山の声が寄せられている。あなたは、どう受け止めますか?



追記 (翌週03/20の放送で、次の内容を補足した。)

―――この放送後も、色々な声が寄せられ続けた。この回、私の問題提起に対する賛同の声ばかりを紹介したので、「反論は無かったのか」という問い合わせがあったが、実際、反論は無かった。(私のホームページを見に来る人や、『眼のツケドコロ』のリスナーの皆さんに、一種の“傾向”があるのだろうか?)
勿論、「メディアにも問題はあるが、浅田農産の責任は免れない」という主張はあったが、それは私ももともと同意見だ。だからこそ、追い込んで口をふさいでしまうような吊るし上げ型の取材手法に疑問を提示した。
それより「まずい反応だな」と気になったのは、ある弁護士からのこんな意見メールだった。

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僕が感じるのは、あれだけ大勢のマスコミが必要か?ということだ。
代表質問方式とか、マスコミの交通整理が必要だろう。
それでも、抜け駆けをしてスクープを狙う記者は根絶できないのだろうね。
役所の取材だと、司法記者クラブに加盟していないと取材ができなかったりするけど、
鳥インフルエンザ事件では、そういう制限は、できなさそうだなあ。

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記者クラブ制のような制度を作って制限すべし、という発想だろうか。スクープを狙うことが「“根絶”できない」という、まるで悪事かの如き表現。加盟していないと取材できないという記者クラブの排他的な面を肯定するような主張。これには、首を傾げざるを得ない。
上記で紹介した、「メディア教育に熱心な高校の先生」からの「取材攻勢に対処できるよう《アドバイスする組織》( 市民による“流し”の広報部のようなシステム)を」、というアイデアとは、似て非なるものだ。あれは水平な力関係で対抗するものだが、こちらは上からの規制につながる話。こういう主張に賛同者がどんどん増えてこないよう、メディアは本気で自らの姿勢を考え直さなければならない。1日延ばしにせず、今すぐにでも取組むべき課題だ。
なお、こうした私のホームページへの反響の声をまとめた約1時間の特集を、日本の市民メディアTV局の老舗『ビデオ・ニュース.com』で放映している。ネットが繋がれば、誰でも・いつでも・どこでも視聴可能だ。月単位の有料制ではあるが、お金を払ってでも情報を買おうという気持ちのある方は、是非ご覧いただきたい。

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