NGO代表、サマワ最新報告

放送日:2004/2/21

このところ伝えられているイラク・サマワの情報は、当然ながら、自衛隊に同行する報道陣からのリポートが中心。違った『眼のツケドコロ』からの報告も聞きたい、という皆さんもいらっしゃるだろう。そこで今回は、サマワ視察から帰国したばかりのNGO『グローバル・ローカル・ネットワーク』代表の高橋昭一さんにお話を伺う。

高橋:
『グローバル・ローカル・ネットワーク』は、1月15日に立ち上げたばかりの団体です。≪Think global, act local≫(地球大で考え、足元で行動せよ)という言葉はよく使われますが、実際にやろうと思ってもなかなかできません。でも私達はその主旨で、実際に海外に出て調査をしながら、私達が住んでいる地域に根ざして国際支援を考える、という団体です。

−そうは言っても、今注目を浴びているサマワに、一般人がそんなに簡単に入れましたか?

高橋:
イラクへはヨルダン経由で入ったんですけれども、車で国境線を越えて、陸路で10時間くらいかかりました。行くまではすごく不安だったんですが、国境からの出国も入国も、そんなに問題なく、ハンコをついてもらってそのまま入ってしまうという感じでした。ヨルダンはビザが要る国なんですが、出入国管理で「ビザ」と書いてあるカウンターに並べば、日本人は無料で入れます。ヨルダンからイラクに入る時も、カウンターがある事はあるんですが、そこに並びさえすればハンコをついてもらえるという感じです。向こうでは日本の事を「ヤパーニ」と言うんですが、「ヤパーニ、good」と、ほとんど問題なく通してもらえるという感じでした。危機管理という面では確かに不安はありますが。

−宿の予約や通訳の手配等はどうされたんですか?

高橋:
ぶっつけ本番みたいな部分がありましたね。本当は、ヨルダンに入ってホテルでその辺を手配しようと思っていたんですが、現地で話をしてみると、「夜のうちにバグダッドに向けて出発した方がいい」というアドバイスをもらいました。ですから、その場で車を手配しようとかなり交渉をして、GMCというアメリカの大型のバンみたいな車がうまく手配できまして、そのままバグダッド目指して夜を徹して走ったと。

−夜の移動の方が危ないというイメージがありますが…

高橋:
ヨルダン国内を移動する事自体はそんなに危ない事はないですね。問題は、ヨルダンからイラク国内に入ってからです。イラクに入ってから1つ目のパーキングエリアで夜明けを待ちました。アリババ(盗賊)が出没するから日の出までは動けないという事で。夜の7時くらいにヨルダンを出て、国境線を越えたのが0時くらい。パーキングに入ったのが夜中の3時半くらいで、朝7時に日が出るのを待って、それからまた走り出しました。
とにかく、「朝方走る時には、動物の死骸やゴミを踏まないように」と注意されました。なぜかというと、夜のうちにテロリストが、そこへ爆弾を仕掛けていると。道路にゴミと同じ状態で爆弾を仕掛けていて、踏むと爆発するようになっているんです。ちょっと前にも、バグダッドの小学校でゴミが爆発した事件がありましたが、あれと同じような事で、今米軍がやられているのは、ほとんどそのパターンらしいんですね。

−じゃあ、そういうのに気をつけながら、高速道路を一気に突っ切っていくわけですか?

高橋:
いえ、高速道路の方が危ないので、下の道を走らなくちゃいけないという事でした。一番攻撃を受けやすいのは米軍の車両なんですが、高速道路はその米軍に供用されているので。特に、バグダッドからサマワへはハイウエイがあるんですが、それは使わないようにと。
後は、思った以上に、ヨルダンよりもバグダッドに入ってからの方が、下の道も整備されて奇麗でしたね。

−フセイン時代にきちんと整備がされた名残でしょうね。
サマワに着いて「日本で思っていたのと違うな」と感じた部分はありましたか?

高橋:
一番象徴的な例は、私が不勉強だったのかも知れませんが、「空爆や陸上戦によってかなり破壊されている町だ」と思い込んで行ったら、実はそうではなくて、日常生活が普通に行われていた事ですね。「自衛隊が視察した橋」がテレビでも採り上げられていましたが、あの橋は、攻撃を受けて壊れたわけではないんです。向こうの市民が求めているのは、「幹線道になっている大きな橋がバザールの中を抜けていて渋滞するので、こっちの橋を拡幅、もしくは補強してくれ」という話なんです。

戦争からの復興というより、そもそものインフラ整備というわけだ。

自衛隊が視察した橋
自衛隊が視察した橋は、
全く破壊されていない(サマワ)
高橋:
水道なんかも同じで、破壊されたものの復旧ではないので、非常に面食らいました。
もちろん、一部は破壊されていますが、これは略奪に遭ったからなんですね。学校なんかが崩壊しているのも、略奪に遭ったかららしいです。いわゆる空爆に遭った町とは違うんですね。インフラの整備は必要なんだけれども、町には食べ物もありますし、今私達が見る限りでは、地元の人達は日常生活を送っていました。ただ、「まず雇用を創出しないとえらい事になってしまう」というのは、日本で思っていた以上に切実に感じました。
今特に気になるのは、日本でも採り上げられている、自衛隊が土地を借りるという問題です。現地で聞くと、地主さんの要求通りの値段で自衛隊が土地を借りると、1年分の地代で、地元の人10人が40年暮らせてしまうと。貧富の差を助長する、不均衡が起きてしまっているように感じました。

−日本人が行くと、やはり「お金くれる」というイメージがあるんでしょうか?

高橋:
やっぱりあると思いますね。オランダ軍なんかは粛々とやっていたようですが、小さな町に日本の自衛隊が入って、マスコミもついて行っていますから、お祭り騒ぎのようになってしまっています。自衛隊の人が日の丸をつけているので、非常に注目されますし、“全権代表”みたいな感じです。

−現地の人から見て、オランダ軍と“日本軍”の違いはあるんでしょうか?

高橋:
オランダ軍は、「自分達が治安をちゃんと維持するから」という心意気で、ヘルメットをかぶっていないんですね。町で銃を持っちゃいけないって規制もありますので、サマワでは、街中でほとんど銃をみかけませんでした。
もう一つは、オランダ軍には『シーミック』というのがあって、復興支援のための文民が軍の中にいて、200くらいの支援プロジェクトをやっているんですね。日本にいると、「他の軍が復興支援をやっていないから自衛隊が行く事に意味がある」ような気がするんですが、オランダ軍にはかなりその辺のノウハウがあって、現地で復興支援をやっています。自衛隊は逆に、それに乗っかっている形ですね。

−逆に、自衛隊を評価できた部分は?

高橋:
私は、同じ日本人として、現地でがんばっている自衛隊の皆さんの事は本当に評価しています。彼らは必死になって、なんとか自力で地域に溶け込もうと努力して、色んな軋轢もある中で、≪隊員≫としては100%の活動をしています。でもそれが、≪国≫としてどうなのか、≪外交≫として正しいのか、という事になると、ちょっと首を傾げざるを得ません。
自衛隊が地域に根ざすために羊を配ってみたり、というのがニュースにもなりましたが、私はちょうどその時現地にいまして。あの辺はたくさんの部族があって、一つの部族に支援をするんではなく、全体のバランスを考えなくちゃいけないんですね。でも、サマワの人達は、羊を配る自衛隊に対して、心の中で評価はしていましたね。それは、実際に地域を回っていて思いました。

−でも、サマワの人達が本当に「来てくれて良かった」と思えるためにやるべき事は、そういった物資やお金のバラまきではないと思うんですが…。

高橋:
自衛隊は今、すごく正念場だと思うんですね。最初のアピールの段階が終わって、これからがやっと本当の支援ですから。例えば、私達が視察したサマワの病院には、医官という自衛隊のお医者さんがいらっしゃいました。もちろん彼らは≪症例を診る機能≫はあるでしょうけれども、≪病院のマネジメントができるような機能≫はないでしょう。また、向こうの企業を立ち上がらせなければなりませんが、自衛隊が≪コンサルタントの機能≫を持っているとは思えません。そういう機能がない人達が、日本の全権代表のような形で、全ての問題点を一身に背負っているような状態というのは、ちょっとバランスが悪いんじゃないかな、というのが私の率直な意見です。

−自衛隊と民間の専門家の混成チームが一番望ましい、という事でしょうか。

高橋:
そうですね。オランダ軍の『シーミック』というやり方も、「軍の中に民間人が全て入ってしまって本当にいいのか」という論議もあるようですが、やはり、民間でプロフェッショナルだと言われる人達が行かないといけない。特に、バグダッド大学なんかで話を聞くと、技術力に対する支援をしてほしいというのが、学生達の本音でしたね。軍服着た人達が来るのを正しいとは思っていない、という印象を受けました。

−実際、軍服以外の日本人(NGOなど)は向こうで見かけました?

高橋:
現地に行く前に何人かにお話を聞いていて、村橋さんという女性には、バグダッドで実際にお会いする事ができました。彼女は児童館を作るってがんばっていましたね。それも、外務省から再三退去勧告を受けているので、組織じゃなくて個人で活動されています。私達も今後、彼女と連携しながら、具体的にやっていかないといけないと思っています。というのは、イスラムの文化を持っている人からすればすごく“害悪”となるものも、衛星放送でどんどん入ってきているわけですね。「これが自由なのか」と怒っている先生方もいると。村橋さんが言うには、日本は一度、戦後統治を受けた事があるので、(なだれ込む米国文化とうまく付き合う)ノウハウが、絶対に今のイラクに生きるはずだと。「だから私は絶対ここに残って、がんばりたい」と、命の危険もある中で、彼女は今もイラクで活動しています。
自衛隊が視察した橋
攻撃をうけた廃墟に住む子供達
(バグダッド)

−高橋さんのイラク報告は、『現地取材動画放送局』と銘打って、HPで動画でも紹介されているんですよね?

高橋:
そうですね。7時間くらい映像を撮ってきましたので。中には、スンニ・トライアングルの中でアメリカ軍に臨検を受けているという生々しい映像も入っています。そういうのを自分達で発信していくのは、生きた情報として意味があると思って。

−これも、市民メディアの形ですね。
 またイラクにいらっしゃる予定ですか?

高橋:
遅くとも夏までには、今度はクエート経由で、バスラを通って入るつもりです。南部の状況が全くわからないので、空爆を受けて今イギリス軍が統治しているエリアも、支援の対象として見ていかなくちゃなりませんから。

その時には、またご報告していただこう。

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