世田谷事件写真展“被害者支援”初心者の声

放送日:2004/01/24

昨日から明日まで(1月23日〜25日)、東京郊外の『パルテノン多摩』という大きなイベント・ホールで、色々な犯罪被害者団体が、合同でイベントを開いている。
ジェントルハートプロジェクト』(NPO法人)
『アピュイ』(NPO法人)
『全国交通事故遺族の会』
『被害者支援を創る会』
あひるの一会
『交通事故調書早期開示を求める被害者連絡会』
世田谷事件被害者・遺族を支援する会
…等が、一堂に集まって、被害者問題への関心アップを世間に呼びかけている。
―――とは言うものの、実際に活動に接した経験がない人にとっては、いくら「関心を持て」と言われても、具体的にどう“初めの一歩”を踏み出せばいいのか、わからない。
そこで今回は、「つい最近、生まれて初めて被害者支援活動に参加してみた」という初心者マークの学生さん2人に、初体験がどんなものだったか、語っていただく。

2人にとって“初”となったのは、先月(12月)28日に都内で開かれた写真展でのスタッフ体験。この写真展では、『世田谷一家四人殺害事件』で犠牲になった宮澤さんファミリーが、輝いて日々を生きていた頃の写真が展示された。まだ犯人が見つかっていないこの事件のことを世間に≪忘れて欲しくない≫、でもニュースに出てくるような“被害者”というレッテルを貼られた姿だけでなく、その前の日まで≪当たり前の幸せの中にいた4人の姿を知って欲しい≫、という、亡くなった泰子さんのお姉様の思いと、『支援する会』の思いが重なって実現した写真展だ。

―初めてこういう活動に参加してみて、何か戸惑いはあった?

西岡慶記
(東京大学4年):
最初、被害者のお姉様がいらっしゃった時に、何かお話をしたいなあと思ったんですが、「不用意な発言をして傷つけてしまうんじゃないか」とか、すごい不安がありました。だから最初は何も話せなくて、変に間ができちゃって。話さない事で逆に、距離ができちゃったのかなあって…。

みんながそうやって変に気を遣ってしまう→当事者を遠巻きにしてしまう→当事者はますます孤立感を強める→それを見て周囲はますます近づきがたくなる、という【下向きのスパイラル(らせん)】の発生は、一つの典型的なパターンだ。
その点は、この写真展のスタッフの1人だった別の学生も、こんな風に感想を書いている。


(一橋大学3年女子の感想)-----------------------------------------------------
私は、写真展に行って、スタッフとして何人かの方とお話したのですが、最初被害者のお姉様をそうと知らずに普通に話していました。 でも、会話の途中でそうと気づき、それから何を話したらいいのかとまどってしまいました。
仕方のないことかもしれないけど、遺族のお姉様を前にしてどうしたらいいのか分からない自分がいました。「支援」なんてそんな大それたこと…って思ったり。
でも写真展に行ったことで、私は片山さんやお姉様、お母様、そこに来ているスタッフの方のおかげで、今までイメージだけで作っていた被害者象を大きく覆されたし、会うことで始まるんだと実感しました。

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湯口麻紀
(立教大学3年):
私も、実際に行くまでは、なんだか悲しそうな写真展を想像していたんですけれど、行ってみたら本当に、4人の幸せそうな写真ばかりで、とても身近に感じられました。私も弟がいて、被害者の家族と同じ構成だったので、うちにもあるような写真ばかりで―――。「私もこういう立場になるかもしれないんだな」と感じました。

ニュースで初めて見ると、そこに登場する人は“特別な人”に見えてしまうが、その前の日までの姿を見せられると、「うちと同じだ」と急に気づくわけだ。≪同じ普通の人同士として話す≫という事について、当日この写真展の会場にいらした、犠牲者の泰子さんのお姉様自身は、こんな風におっしゃっていた。

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姉:
(初参加者は)やっぱり「犯罪の被害を受けた人に対して、こうやって普通に話して、普通に笑ったりできると思わなかった」っておっしゃるんですよ。私自身も、被害体験だけをお話しようと思ってお目にかかった訳ではないですし。たまたま≪被害者≫という立場になりましたけど、その前に≪市民≫として話が普通に出来て、それで結果として何かを一緒に作り上げられたっていうことが、良かったんじゃないかと思います。
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それでも、我々は、被害者・当事者の人と全く同じ立場にはなれない。現実に、「事件を経験した者」と「していない者」という違いは厳然としてある。
イベント当日はお姉様と平気で話せたけれど、後になってまた考え込んでしまった学生もいた。

(立教大学2年女子の感想)-------------------------------------------------
写真展当日にお姉様にずかずか質問してしまったのも、今となっては、良かったのか悪かったのかよくわからない。すごく傷つけたかもしれない。腫れ物に触るようにはしてほしくなさそうにも見えたけど、その辺は本当にわからないです。
「私はあまり人の気持ちを察する事が出来ないのかもしれない。」と考えて、へこみました。

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遠巻きにするのは良くない。でも、ズカズカ近づくのも、本当に良いのだろうか―――と、距離のとり方で戸惑う人は多い。

−西岡君にも、そういう感じはあった?

西岡:
ありました。正直、最初はどうコミュニケーションしたらいいのか全くわからなかったんですが、『支援する会』の人達と話をしているうちに段々、会の≪ご近所さんになろう≫というキャッチフレーズを、肌で体感したような感じでした。

その“ご近所さん”感覚について、参加学生の1人は―――

(慶応大学3年男子の感想)-----------------------------------------------------
「遺族の皆さんの立場になって考えよう」僕はずっとそう考えてきました。だけど、今回の写真展に参加させてもらったことでその考えが変わりました。同じ立場になって考えるのは無理です。実際に僕は遺族の立場になったことは今までないし、もしそんなことを言われたら、遺族の皆さんも「お前に何がわかるんや」そう思うはずです。だから自分達がなれる立場、今回の僕だったらご近所さんの立場になって考えることが重要なんだと気づきました。
今回の支援する会の皆さんのご近所ぶりはとても温かく、必要とされるときにそこにいる、そんな感じがとてもしました。自分にも出来ることが何かあるはず。
大きく構えないで、その出来ることを着実にやっていくことが大切です。
それが世田谷のお母様やお姉様の笑顔にも繋がっていくんだなあと感じました。

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この会が唱える≪ご近所さんになろう≫とは、物理的に近くに住んでいる人、という意味を超えて、距離は関係なく“ご近所さん感覚”でサポートできる人のネットワークを作ろう、という事だ。隣人が何者かも知らない現代の大都会生活では、この概念の拡張は有効だ。
しかし、参加した人はこういう気づきを得られても、参加していない人達にこれを広げていくのは難しい。

湯口:
写真展前日に、渋谷の人通りの多いところで告知のビラ配りをやったんですけれども、事件のことを忘れてしまっている若い人もたくさんいて、「何それ?」って言われてしまったりとか。「えー、知らなーい」っていう女の子もいたりして、それは私にもショックでした。でも中には、あのビラを見て、しばらく事件の事を話してくれる歩行者の人もいました。そういうのを見ると、たとえイベントに来てくれなくても、ビラをきっかけにして事件を思い出してくれたり、話をしてくれたりするといいなあって感動したんですけど、あとは大体、冷たい反応が多かったですね。

≪一般の人達≫の関心度・足並みが揃わないだけでなく、実は≪犯罪被害者≫と一括りに称される方々の中でも、思いはそれぞれ大いに違う。

西岡:
当日のトークイベントの中で、他の事件の被害者の方もいらっしゃっていて、話を聞く事ができました。ある事件で亡くなった方の顔写真を新聞に載せたいという記者さんが、被害者の家族の方に「写真ください」となかなか言えなくて、配慮したつもりで、近所のおうちから同窓会や町内会での写真をもらうと。そういう時に、「もっと良い写真、生前のかっこいい写真があったのに、なんで直接うちに言ってくれなかったんだ」と怒る遺族もいるし、逆に「来てほしくない、なんで来るんだ」という方もいるから、色々だ―――とおっしゃってました。

−その他、今回の参加体験を通じて発見できた事・得られた事はある?

湯口:
写真展の中で、有志のゴスペル合唱があったんですけど、その時に、「まだ魂の喜びを表す歌を聴く気持ちにはなれない」と言って、陰の方に隠れてしまう、他の事件の被害者の方もいらっしゃいました。皆さん色んな思いで、写真展に来られているんだなって思いました。
被害者の方同士が話しているのを見ていると、そこにすごく≪優しさ≫や≪温かさ≫がありました。一番印象に残ったのは、被害者の方が「すごく元気になられましたよね」と言われて、「そうでもないんですよ」って応えて話しているのを見た時です。そうやって本音で語り合えるのはすごく素敵なことだと思ったし、言った側も「元気になった」と思い込んでいる訳じゃなく、それでもまるで病気が治った人に聞くように自然に聞けるっていうのは、素敵な関係だと思いました。
西岡:
僕の中では、「被害者」という一律のレッテルがはがれました。更に、同じ1人の被害者であっても、その時々の心の動きがあって、話を聞いてほしい時もあれば、次の日には逆に話したくない、触れないでほしいと思う日もある、という話も聞いたりして。他の被害者の人と比較したり、“この人は話したい人”“この人は触れないでほしい人”と決め付けるのも良くないって分かりました。
友達と話す時だって、気分がのっている時と悪い時があるように、普通の1人の人間として、“被害者”というのはその人のほんの一面でしかない、っていう事に気付いて、行ってよかったなと思いました。

こういう前向きな感想を、参加した学生も大人も、ほとんど全員が持っている。宮澤泰子さんのお姉様は、それをこんな風に受け止めている。

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姉:
私にとっては凄く意外だったんですけど、(参加者の方が)「あなたを励ますつもりで行ったのに、自分が励まされた」と言ってくださったのが、すごく、嬉しかったです。

−その言葉を聞いて、またあなたが励まされた?

姉:
そうなんです。それが本当に一番―――。この人達は嘘じゃなく言ってるんだな、私も嘘じゃなく、その言葉が嬉しいなって思ったんですね。物凄く嬉しかったです。そういう、心の共鳴、心が触れ合ったなという気持ちを分かち合えて、少し重荷が取り去れたなと思えるから、「続けていかなくちゃいけない、続けていこう」という気持ちになれたんだと思います。
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ここにあるのは、被害者を励まそうと周囲の人が集まる→逆にその人達が励まされる→それを知って、また被害者も励まされる、という、【上向きのスパイラル】だ。最初に西岡君が言っていた【下向きのスパイラル】と、全く逆の現象が起きている。
この事は、先ほど紹介した女の子も、短い言葉で的確に語っている。

(立教大学2年女子の感想)-----------------------------------------------------
遺族の皆さんが大切な人を失ってしまったことで受けた傷は、ずっと残るのだと思います。でもその傷と向き合おうとしている遺族の皆さんの強さと、周りで支える人達の気持ちと、支える人が支える事で得るモノが、いい循環で回ったというのを感じました。
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