阪神大震災9年…ネパールに校舎が出来た!

放送日:2004/01/17

阪神・淡路大震災から、今日(1月17日)で丸9年が経った。何かと“風化”が指摘されるが、目をこらして見ると、実は様々な形で“拡がり”が生まれている。その一例をご紹介しよう。
震災で神戸市長田区の自宅が全壊し、瓦礫の下から命からがら助け出された佐野由美さん。当時大阪芸術大学の学生だった佐野さんが、この体験後に始めた≪活動≫への応援の輪は、彼女の突然の事故死の後も全国に拡がり続け、とうとう先月(12月)、ネパールの貧困地区の小学校に新しい教室が完成した。
佐野さんは、ドキュメンタリー映画『With…若き女性美術作家の生涯』の主人公。映画が完成して自主上映が始まった直後の一昨年1月にこのコーナーでもご紹介したので、ご存知ない方はまずはそちらをお読みいただき、そこに掲載した彼女の絵も是非ご覧頂きたい。
…で、その後も輪は広がり続けていた。MBS(毎日放送)報道局に籍を置きながら、その立場を離れて一個人としてこの映画を監督した榛葉健さんに、再びお話を伺う。

−2年前このコーナーでお伝えした時は、放送後、TBSにも問合せの電話が殺到して、すぐ鹿児島や秋田などでも上映会誘致の打合せが始まったりしましたが、その後の上映会の拡がりはどうでしたか?

榛葉:
こうしたドキュメンタリーとしては異例の多さと言っていいと思うんですけど、あの後、全国100ヵ所以上で上映を行って、4万人以上の方にご覧いただいています。これは僕達が「見てください」と上映会を開いたというよりも、1ヵ所で開くとお客さんの中から「自分達の知り合いや友達にも見てもらいたいから、今度は私が上映会を開きたい」と、ずっと数珠つなぎになっていったんですよ。“草の根”の輪って言うんですか、『With』の輪がつながっているって僕は言うんですけど、そうやって4万人という数に拡がっていったんですね。

自主上映運動の、自然発生的な連鎖反応。これも、市民メディアの一つの典型的な形だ。

−今も愛媛県の松山市内の旅館から電話でお話しいただいていますが、松山へも『With』がらみでお出かけですか?

榛葉:
ええ、ついさっきまで準備をしてたんですけど、今日から2週間、松山市内のシネ・リエンテという非常に優れた映画館で、本格的なロードショーとして、『With』を上映していただく事になったんです。同時に由美さんの描いた絵の作品展も開催されます。何がすごいって、この映画館は、作品展を開催するためにビルの中の改装までして下さったんです。物凄い力の入れようなんですよ。

−そうして草の根でつながっている人達は、この映画のどういう所に惹かれているんでしょう?

榛葉:
彼女の生涯は確かに23年で閉じます。けれども、そこに至るまでの間に彼女が、震災以降、過酷な現実(ネパールも含めて)の中を必死にひたむきに生きてきた、≪命の輝き≫って言うんでしょうか―――生きる事の素晴らしさとか、今生きている事の喜びとかが、(彼女は下町の明るいお嬢さんなので)等身大の姿として、誰にでも分かりやすい形で、伝わっていく。
だから上映会をやっていると、皆さん劇場から出てきた時に、晴れがましい表情をされてるんですよ。悲しくて涙も流すんだけれど、≪自分が今生きている事が凄く嬉しい≫という表情をして、これから自分も≪生きる勇気を持ってがんばっていくぞ≫という表情をして、出てきて下さるんです。そして、私の方が皆さんから「ありがとうございました」って頭を下げていただくっていう、そんな上映会がずっとつながっているんですね。

−皆さん、晴れがましい表情と共に、寄付金もよせて下さった。

榛葉:
そうですね。僕達は映画を見ていただくだけじゃなくて、映画活動を通して世の中と具体的に関わって行きたいという事で、『With基金』というのをやっています。映画に感銘していただいた人の善意のお金が集まりまして、ネパールの貧困地区にあるラリット福祉小学校(佐野さんがボランティア教師として1年間を過ごした学校)で、校舎の増築工事をして来ました。先月23日にちょうど出来上がって、落成式をやったところなんですよ。大阪の泉佐野市にある「ネパールの教育援助をすすめる会」と『With基金』との共同事業として行いました。

−亡くなられたのが99年ですから、その小学校の5年生以上は、実際に由美さんの授業を受けた事があるわけですね。

榛葉:
実は先月、落成式で現地へ行った時に、英語版の『With』を生徒さん達に見てもらったんですよ。そうしたら、子供達が口々に「由美さんの事はもちろん覚えてます。もう一度由美さんに会う事ができるなら、また私の先生になってほしいと思ってるんです」って言うんです。それを聞いて、一緒に来ていただいていた由美さんのお母さんが、泣かれたんですよ。それまで、どんなに悲しい事があっても、人前では絶対に涙を流されなかったんですけどね。
後になって僕は、お母さんに聞いたんです。「あの涙の意味は何ですか。」―――そうしたら、お母さんはこうおっしゃいました。「今でももちろん、由美を失った喪失感や悲しみはあります。でも、子供達の言葉を聞いて、由美の魂がまだここに生きている事をすごく実感しました。だから悲しくて泣いたんじゃなくて、嬉しくて泣いたんです。」
それを聞いて僕は、『With』を作ってつくづく良かったと思いました。僕も作者として、非常に苦しい思いをして、彼女が亡くなった事実と向き合わなくてはならないという局面にさらされましたけど、でもやって良かった。同時に今、由美さんが生きているという事を僕もすごく実感しているし、ネパールの人達や日本で『With』を支えて下さる全国の“応援団”の皆さんの力にも、すごく感謝しています。

ラリット福祉小学校で由美さんが奮戦していた頃の様子が、映画の中にも生き生きと登場する。

(映画より)-------------------------------------------------------
子供たちの喧騒 〜

佐野:
片付けておいてね! 片付けておいてね!(ネパール語で)
榛葉:
賑やかな授業ですね!
佐野:
賑やかですね。体力が要ります、物凄く。毎日、エネルギー!
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榛葉:
子供達はスラムという非常に過酷な現実の中で生きているんですけれど、それでも≪前向きに生きていく事の大切さ≫、≪生きている事の素晴らしさ≫を、震災で被災して痛みを抱える由美さんだからこそ、彼らに伝えられた部分もあると思います。子供たちと同じ土俵の上で、≪命の尊さ≫をお互いに再確認し合いながら、ネパールの地で生きていたのかな、という気がしますね。

≪気持ち≫が伝わり続けているだけでなく、日本全国で共鳴して寄付金が集まって、現実に2階建てだった校舎に新しい教室が2つある3階部分が加わった、という≪形≫にもなった。

−さっきおっしゃった『With』の英語版というのは、校舎の落成式に流れただけですか? ネパール国内での上映は?

榛葉:
実は英語版『With』は、世界の各地で放送・上映されているんです。今回ネパールでは、国営放送が『With』の存在を聞きつけて、「ネパール全土で放映させてほしい」と言ってきてくれました。今準備を進めているところなんですけどね。
最近の映画は“消耗品”とよく言われますけど、『With』は大きな宣伝力等が何もなくても、市民の力でこれから10年も20年も生き続ける映画だと思います。ぜひ見ていただきたいですね。

大震災の体験は、こうして9年経った今も、色々な形で、色々な地域で生き続けている。
昨日(1月16日)、陸上自衛隊の先遣隊がイラクに向け出発したが、巨額の金をかけて、武器を携行して行くだけが「国際貢献」の形ではないのだ。

※映画・ビデオの問い合わせ
『with・・・若き女性美術作家の生涯』全国普及委員会
 Tel 0285-25-3104
 Fax 0285-25-3129

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