横田めぐみさんの投票所案内ハガキ

放送日:2003/11/15

ちょうど26年前の今日(11月15日)は、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致された日だ。去年秋の大きな動きで膠着状態が突破できるかと思われたが、まだ謎だらけのまま、またこの日を迎えてしまった。実は最近、ある所から横田さん宅に、めぐみさん宛ての1通のハガキが届いた。―――選挙管理委員会からの、総選挙用の投票所案内ハガキである。
この話は先週のテレビ番組(『サタデーずばッと』)で私が短くリポートしたのだが、改めてここで詳しくお伝えしたい。

投票日直前の先週金曜日(11月7日)、横田さんのご自宅で、めぐみさんのご両親・滋さんと早紀江さんに、このハガキの実物を見せていただいた。

滋:
これが我々の分の(投票案内ハガキ)で、そしてめぐみにも毎回、選挙の時期になると入場券が送られてくるわけなんです。戸籍がそのままだし、住民票も登録されていますから、居るのと同じ扱いになっているんです。

−つまり成人された年から?

2人:
そうですね。
滋:
毎年。成人の時は成人式の招きもありましたが、その後は選挙権があるからその都度、入場券が送られて参ります。

■政治家と選挙と拉致問題

そう、めぐみさんを「死亡」と言っているのは北朝鮮側だけなのだ。しかしこの間、投票できないご本人のためにこの国の政治が動いたかと言えば、ご存知の通り。やっと初めての国会質問が行われたのが、今から6年前の事だった。

滋:
平成9年に国会で採り上げられても、それ以降、公約に掲げる方は少なくて…。西村真悟代議士なんかは声を上げてくださったんですけど、一般には「拉致は票にならない」と言われた事もあって、あまり採り上げられなかったですね。

警察も我々メディアも皆動きが鈍かったので、一概に政治家だけを責められないが、それにしても、「拉致は票にならない」とは身も蓋もない言葉だ。

その時期の家族の皆さんの孤独な努力は、今までにも報じられているが、その間に何度もあった≪国政選挙≫の時はどういう動きをされていたのか、他のご家族にも取材を広げてみた。選挙期間は、候補者が有権者の言う事に一番“聞く耳もつ”時なので、政治に何かを働きかけたい人にとってチャンスではあるからだ。
取材してみると、地村保志さんのお父さん(保さん)が、選挙のたびに毎回、地元選挙区の全ての候補者を訪ね歩いて、“この問題解決に協力してくれ”と依頼していた、という話を伺う事ができた。

地村:
毎回してました。全部の候補者に頼みにいくんですよ。もし当選した場合、国会で採り上げてくれと。そうすると候補者は、「やりますよ、お父さんは長い事苦労してるんだから、当選したら必ずがんばります」と言うけど、いざ当選したらそんなものは…。全然、全く相手になってくれへんやったし。

こういう経験を散々重ねてきてしまっただけに、地村さんは、今回の総選挙でガラリと空気が変わり、各候補者がこぞって「拉致解決が重要」と唱えている事にも、少し冷めた眼を持っている。

地村:
やっぱりその、選挙で道具に使うんじゃないかと。悪く言えば、人気取りに私達の名前を出すんじゃないかなあと。やっぱり日本中がこの拉致問題に関心があるから、この問題を第一にあげてきて自分の人気をとろうと。“関心がある”とか“拉致はテロである”というような事を表向きには言ってるけど、いざ当選したらなかなか、拉致問題はうんぬん言うてくれる人が少ないやろ、と。

それでもやはり、国対国の問題なので、政治家に期待するしかない。
今回の総選挙では、地村さんが選挙事務所に行くと、今までとは逆に「応援演説して行ってくださいよ」と頼まれてしまう事もあったという。しかし地村さんとしては、“全ての政治家に均等に拉致問題の解決をお願いしたいので、誰か1人の応援演説をする訳にはいかない”と断ったそうだ。同じような理由から、拉致被害者を救う会や家族会も、特定の候補者を会としては応援しないというスタンスをとっていたが、横田夫妻や増元さんなど、何人かは、個人的な立場でどうしても応援したい候補者の応援演説をして歩かれた。
前述の西村真悟氏が、応援の横田夫妻と並んで駅前広場で選挙遊説をしている場面を私も実際に見ていたのだが、横田夫妻が立っている隣で、西村候補者は「拉致問題は自民党には解決できない!」と民主党への支持を熱く呼びかけていた。横田夫妻にしてみれば当然、自民党の安部晋三さん達にも大いに期待をかけている。選挙運動で、「我が党へ」と引き込もうとする動きに巻き込まれてしまうのは、傍で見ていて「辛くないかな」と感じた。(西村議員の拉致問題への取り組み努力は高く評価できるが、それとこれとは別問題だ。)遊説の後、早紀江さんにその点を尋ねてみると、「各政党には政党のご事情がありましょうから、私達はとにかく、個人的に“この人には通ってほしい”と思う人を応援するだけです」という達観したお答えだった。


■地村さん(父)が守り抜いたもの

“人気取りに使われるのでは”と言う地村さんも、実は横田さん同様、一票というものをとても大切に考えて、息子・保志さんが行方不明の間ずっと、投票所案内ハガキを受け取り続けて来た。しかも、地村さんの場合は、この間、市役所の戸籍係担当者と何度も戦いながらの住民票死守という努力があったそうだ。

地村:
5年目、7年目、10年目に、戸籍係から「いい加減に戸籍をちゃんとしてくれんと、うちらは仕事やから、いつまでも放っておくわけにはいかない。抹消するならしてくれ、5年経ったら抹消はできるんだから」と言われたけど、「うちの子はどっかで生きているんだ」と、戸籍係とけんかして。「絶対わしは決心がつくまで死亡届は出さん、わしはうちの子を信用してんのやから」と、戸籍もそのまま、国民健康保険もそのまま。

−じゃ、選挙のたびに投票用紙を?

地村:
入場券も届いておりました。

地村さんの話に出てきた戸籍係の人は、決して冷血だったわけではない。長期に渡る消息不明者の家族に対して、周囲の人が善意から「気持ちに区切りをつけなさい」「供養してあげなさい」という言い方をしてしまうのは、しばしば見られる事だ。そうした≪周囲の言葉≫の中で、地村さんのように戦い続ける人もいれば、周りの言葉を受け入れて、手続き上は失踪宣告等を出す家族もいる。だから、拉致被害者の中にも、現在、選挙ハガキが届いていない人もいる。

−ずっと届けられていた入場券を、やっと使えるようになるんですね?

地村:
帰国して初めての入場券。「お前ら真剣に、棄権せんと、“この人”という人を書けよ」と。「お前らの子供たちを早く返すような運動をしてくれる国会議員を書けよ」と。

現実に何度も何度も裏切られて来て、それでもやはり地村さんは、今回の選挙にも問題解決への期待を寄せているのだ。今、総選挙は終わり、候補者達のリップサービス期間も終わった。実際にこれから、リップサービスの言葉を形にしていくには、それぞれの議員に投票した各選挙区の有権者が「ちゃんとやってる?」と監視し続ける事が、唯一の方法となる。
我々報道機関の人間も、「今日は何のニュースを取り上げよう」と考える時に、拉致問題のような長期間をかけて取り組まなければいけない問題と、その日に起きた事件とでは、新しい方を選んで伝えるという判断をしがちである。毎日毎日その判断が重なれば、結局こうした重い問題は、延々と後回しが続く事になる。国会も同じで、「拉致問題は大事なので、後でゆっくり話し合おう」と、ズルズル後回しになってしまう事がないように、今後どう取り組ませていくかが難しい。


■一票を入れる日が来るまで

このように頑張り続けてきて、「ついに、受け取り続けた投票所ハガキを使える日が来たんや!」という地村さんのお父さんの、この喜び。その日が来るのを今も待ち続けているのが、横田めぐみさんのご両親。 選挙が近づいて、このハガキが選挙管理委員会から届くたびに、お母さんの早紀江さんは、とても複雑な気持ちに襲われるという。

早紀江:来たーという感じで。また来たなーという感じで、いつも何とも言えない気持ちで見ていましたけど、このハガキを。

−めぐみさんがこのハガキを持って投票所に行ける…

早紀江:希望がありますからね。私たちは絶対どこかで生きているに違いないと信じていますので、いつか、このハガキが続けて来ていたら「ああ、この年まではダメだったけど、これからは選挙ができるんだね」っていう日が来るだろうと思って、少しの希望を持ちながらきたんです。

−「何とも言えない気持ち」というのはつまり、一方ではこれが届き続けるというのは…

早紀江:そう、いつか行ける日が。どこかで区切りがついて生存が分かった時に、そこから投票できるなーって気持ちできたんですけどね。

−それまでは、選挙のたびに受け取り続ける?

2人:そうですね。
早紀江:もう、来たらちゃんと。でも複雑な気持ちですけどね、受け取る時は。

いつかめぐみさんが帰国して、その帰国実現のために尽力した政治家にめぐみさん自身がお礼の一票を入れる日が来るまで、横田さんご夫妻は、めぐみさん宛ての投票所案内ハガキを受け取り続ける。

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