テレ朝「ダイオキシン報道」逆転判決

放送日:2003/10/25

今週火曜(10月21日)、朝日新聞の『声』欄の隣にある『私の視点』に、編集部の依頼を受けて寄稿させていただいた。その内容について、早速、読者から賛否両論を頂いているので、この場で第2ラウンドを展開したい。
紙上で述べたのは、テレビ朝日『ニュースステーション』の所沢ダイオキシン報道の裁判で、最高裁が16日に出した逆転判決について。「テレ朝判決/細やかに、だが臆病になるな」という見出しで掲載された。

■「テレ朝に対し甘い」か?

裁判では、風評被害を訴えた農家側の言い分が通り、“あの報道はいかん”という趣旨の差し戻し判決となった。
これについて私は、『「所沢産の葉物野菜全般が危ないような誤った印象をテレビ朝日が与えた」という部分のみが視聴者・読者の印象に残り、世間のテレビ報道不信を増幅する。泉徳治判事が判決の補足意見で述べた「一連の報道の貢献」、「農家の被害の根源的な原因は別にある」という重要な指摘は、ほとんど印象に残らない』と書いた。
それに対し、「テレ朝をかばい過ぎ。テレビ同業者として反省が甘い」という反論も来た。しかし、やはり私は、このダイオキシン問題について継続して取材し続けたテレ朝のチームに、「自分たちの仕事の99%に胸を張れ」とエールを送りたい。判決文は「一般の視聴者は、放送された(中略)測定値、とりわけその最高値から強い印象を受け得る」と述べているが、≪最も鮮烈な部分の印象が全体を支配する≫というこの法則は、実は今回の判決報道そのものにも当てはまるのだ。
真面目に積み重ねてきた99%の有意義な仕事が、1%のミスによって瞬時に致命傷(被取材者側にとっても・番組側にとっても)に転じてしまう、テレビというものの増幅力の恐ろしさ。多くの同業者同様、私にももちろん何回も身に覚えがある。
しかしテレビ報道マンたちは、今後この恐ろしさにビビって、果敢な問題提起報道を避けて通るようなことになってはならない。見出しの通り、判決のメッセージは《細やかになれ》であって《憶病になれ》ではないのだ。

■「判決に対し甘い」か?

今のは「テレ朝に対して甘い」だが、正反対に、「判決に対して甘い」という批判もある。
今回の判決のポイントは、≪放送内容に問題があるかどうかを検証するときは、番組を“微分”した個々の発言や文字だけでなく「全体から受ける印象」が肝心だ≫という初の司法判断だ。これについて私は、『視聴者の感覚からみると常識的見解と映るかもしれない』と書いたのだが、それに対し、「なぜテレビで発信する側にいる者が、すんなり負けを認めるのか」という声も届いている。

確かにテレ朝側は、判決後のコメントで、「判決は、≪知る権利≫や≪報道の自由≫を制約する可能性を含んでいる」という問題を指摘している。
それはもちろんその通りなのだが、このコメントは、ツッパリ過ぎだと私は思う。もはや決まり文句のごとく《知る権利》《報道の自由》という2つの金科玉条を唱えても、一般の人々の共感を呼ばない、という現実は、一連のメディア規制法案反対運動の際の世間の盛り上がりの鈍さで明らかではないか。あの時は、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌の各業界が、相次いで反対声明を出したのだが、今一つ、国民的反対運動として盛り上がらなかった。
当時、運動の中心メンバーが開いた今後の方針を話し合う会議に飛び入りして、私はこんな指摘をしたことがある。
あまりにも積み重ねられた報道被害の数々によって、少なからぬ人々が、《知る権利》と《報道の自由》を、国民全体(=自分自身)の“宝物”ではなく、一部の者(=メディアで働く職業人)だけが振りかざす“特権”だと錯覚するようになってしまっている。
報道の自由に対して司法界が徐々に厳しい姿勢をとり始めているように感じられるのも、こうした社会の空気と無縁ではあるまい。そんな変化に敏感にならず、こうした場面でただ声高に原則論の主張を繰り返すことは、世間の反感を強め、この機に規制強化の方向付けを狙う者たちに追い風を送るだけの、いわば“利敵行為”であることに、そろそろ気付いた方がよい。

今はもう、「おれたちはメディアだぞ」という尊大な態度は完全にやめよう、ということだ。

だから今回の判決についても同じで、「判決は、知る権利や報道の自由を制約する可能性を含んでいる」等という硬直したコメントではなく、「私達の報道姿勢は、知る権利や報道の自由を自ら制約される方向に持っていく可能性を含んでいる」と謙虚にこの判決を受け止め、《どうすればよいのか》を考えようではないか。

ただ「これから気をつけましょう」だけでは、対応としては不誠実だ。再発防止に取り組むに当たって何が難しいのか、を分析しなくては、実効的対策は立てられない。その観点で判決文を読むと、特に難しいポイントが2点見出される。それは、そもそもなぜ『ニュースステーション』が「煎茶」を「葉物野菜」と取り違えて放送してしまったのか、そのプロセスの“最初”と“最後”の場面についての記述である。

■プロセスの“最初”の場面――――― 一部を隠して全体が疑われる

高濃度ダイオキシンを検出した検体が実は「煎茶」であったことを、測定者である研究所長が番組スタッフに事前に伝えなかった理由として、判決文は「検体提供者への配慮から、具体的な品目を明らかにしないで…」と事実認定している。この事件当時、私は海外に在住していたので、詳細な事実経過は全く把握しておらず、この裁判所の記述が正しいのか否かについては何も言う材料を持っていない。しかし、仮にこの認定を前提とすれば、久米宏キャスターらがこの検体を「葉物野菜」と誤解するに至ったそもそもの発端は、研究所長の《報道被害発生への配慮》から生じた、という理屈になり、非常に教訓的だ。報道の際に対象物(煎茶)を特定しない表現をとる事が、逆に母集団(所沢産の野菜)全体に悪印象を広げてしまう、という構図。この事例での経緯の真相がどうであれ、こうした構図は様々な報道ケースで実際に起き得る事であり、“ちゃんと配慮したつもり”だけに、この副作用は見落としがちで要注意だ。
≪特定が甘いと母集団全体が白い目で見られる≫ケースは、他にも色々ある。
例えば、最近よく起こるコンビニ強盗などで、犯人が特定できずに「外国人風」といった表現だけがされるが、私の知り合いの中国人留学生は、「ああいう報道をされると、外国人がみんな犯罪予備軍のように見られてしまう」とぼやいている。また、2〜3年前、いくつかの大学で入試の際に採点ミスがあり、「本来不合格だったはずの学生が合格している」という事実が次々に発覚した。その中の一つ、山形大学に通う学生は、「不合格なのに合格したのが誰なのか、ハッキリさせてくれないと、私達全員が“ちゃっかり合格した”と思われる」と憤慨していた。だからといって、該当者の名前を発表するわけにはまさかいかないし…、ケースごとに扱い方の判断を迫られる、難しい場面だ。

■プロセスの“最後”の場面――――――時間の無さ

「煎茶→葉物野菜」という出発点の誤解が、生放送本番までに解けなかった理由として、判決文は「打ち合わせのための時間が十分ではなかった」と述べている。これまた真実かどうかは私には判断材料がないが、ただ体験上、そうした準備時間不足は十分ありうる事だ、と言える。
しかし、“では今後はしっかり時間をとって打ち合わせましょう”という対応は、非現実的だ。これからも、時間はない。仮にあの日の『ニュースステーション』が、入念な打ち合わせのために放送開始時刻を1時間遅らせていたとしても、その1時間の間にもまた新しいニュースはどんどん飛び込んでくるのであって、スタッフの忙しさには何ら変わりはない。実際、同番組の1時間後に始まる『筑紫哲也ニュース23』でも、開始直前まで全く同様にバタバタと準備に追われている。人間社会がすべて活動を停止しない限り、ニュース番組の制作現場は、永遠に時間との競争から解放されることはないのだ。ということは、どんなに今回の件をテレビ界全体で反省したとしても、何らかのミスによる報道被害事例は、今後も発生しないとは言い切れない。
だからと言って、「仕方ないんだ、大目に見てよ」というわけにはいかない。そこで、≪予防策≫と並んで、≪起こしてしまった報道被害の回復策≫の研究にも、もっと取り組まなければならない。

■司法への注文――――――“印象”は一通りではない!

朝日新聞への寄稿では、最後の段落で、メディア側の努力だけでなく、司法界にも1つ注文を出した。今回の判決で『「今後はテレビ報道の是非を総合的印象で判断するぞ」と宣言した以上、テレビ情報の受け手が抱く印象が《いかに多様か》について、ぜひとも認識していただきたい』という事だ。

私はここ数年、小中学校の“1日教師”や大学での講義の場で、映像制作実習の指導をよく行っているが、そこで子供たち自身が必ず気付くのが、≪全く同じ報道でも見る者によって印象が十人十色である≫ということだ。実際、プロの私達も、この仕事をしていると、視聴者の受け止め方があまりにも正反対の範囲まで広がっていて、ビックリすることがよくある。最近も、『サタデーずばッと』で曽我ひとみさんの帰国1年をリポートした際、視聴者からは「なぜあんなに曽我さんに対し批判的に扱うのか」という声から、「今までにないほど肯定的で良かった」という声までが、同一のVTRに対する感想として寄せられた。
―――だから、「この番組が与える印象は、こうだ」などと判定するのは、実は猛烈に至難の技なのだ。数人の裁判官で簡単に決め付けると、ケースによっては、今度は“報道の暴力”ならぬ“司法の暴力”にもなりかねない。裁判官もまた、≪細やかに≫なることが求められているのだ。

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