東大・社会情報研究所で下村「最終講義」

放送日:2003/09/13

今週の月曜日(9月8日)に、私が講師を務める東京大学の社会情報研究所で、「ジャーナリズム演習」の最終講義を行った。東大は年2学期制なので、4月から9月までの上半期が、今の時期に最終講義を迎える。今回は、この半年間、私と学生達がどんな講義を行ってきたのかをご紹介する。

30人ほどの受講生の中から、文学部英文科3年・倉田尚弥君、教育学部3年・笹生心太君、社会学部3年・若松朋子さんの3人に、講義の感想等を聞く。
社会情報研究所・教育部では、主としてジャーナリストをめざす学生が集まり、社会情報、マス・コミュニケーション、ジャーナリズムの分野について学んでいる。今日話を聞く3人のように、様々な学部・学年が集まっている。

授業では、現場にいる人間が講師である意味を大切にし、メディア「論」よりも「実践」を重視した。カメラやマイクを持って教室の外に出て、テレビやラジオでの放送を想定したリポート作りを主軸とした。理屈でメディア批評をするのは簡単だが、作る側を疑似体験することで、また違ったものが見えてくる。学期初めに学生たちに配られた講義内容紹介文では、次のように呼びかけた。

メディアにおける「わかり易いリポート」と「わかりにくいリポート」は、どこが違うのだろうか。 そこに存在する、情報の《伝導率》の違いは、何に起因するのか。例えば、この社情研の各講義で学んだ事を、君は、不特定多数の人に、聞く耳持ってもらいながら伝えることが出来るか?
消化不良の情報が、量だけ飛び交う“情報化社会”など、何の意味もない。
この15週の体験を通して、自分自身の情報発信能力を、確実に高めよう!

今学期の授業のキーワードは、 ≪情報伝導率≫。例えば、自分が情報を“10”持っているとしたら、相手にそのうちのいくつを伝えられるか、という事だ。知り合い同士のコミュニケーションなら、舌足らずな表現でも情報が伝わる。しかし、不特定多数へ向けて伝える場合、伝導率が低いと、10のうち3〜4しか伝わらなかったりする。この講義では、その“伝導率をいかにアップするか”の苦労を、体験してもらったわけだ。
講義に教科書はなく、学生達自身が作るリポートが最高の教材になる。例えば5月には、4つの班に分かれて、東大で毎年行われる『五月祭』という学園祭を、あらかじめ決められたテーマに沿って描く、という課題に取組んだ。

【各班のテーマ】
A班:「五月祭はこんなに面白い」
B班:「五月祭はこんなにつまらない」
C班:「五月祭はこんなにドメスティックだ」
D班:「五月祭はこんなにヒエラルキカルだ」

この課題では、制作者の先入観や意図によって、同じ素材がどんなに違って撮れてくるかを体験してもらった。

−実際やってみて、どうだった?

笹生:
僕は、「五月祭はこんなにつまらない」というテーマに取組んだ班でした。文化祭というのは、面白いって決まってるじゃないですか。僕はお祭り好きなので、つまらない所を探そうとしても見つからなくて。正直言って、つまらない映像を無理やり作ったりして、下村先生に怒られました(苦笑)。

あらかじめ路線を決めてしまうと、無理やりそれに現実をはめ込もうとする、という制作者の心理を、実際に体験したわけだ。この班の他のメンバーは、「作っているうちに自分の心がゆがんでいくのが分かった」と感想を口にしていた。当日朝から降り続いていた雨がやみ、皆喜んでいる時に、「ちくしょう、雨が降っていた方が“つまらない”絵になるのに」と思ったりと、不幸を望む心持ちになってしまったという。

若松:
私は「五月祭はこんなにドメスティック」班で、「五月祭は東大生だけが楽しんでるんじゃないか」というテーマで取材をしました。学校の外の、商店街の方にインタビューしたんですけど、カメラを向けると断られる事が多くて…。取材する側の大変さを知りましたね。

この班の作品で、私が一番感心したのは、東大の赤門を大きく撮り、「この赤門によって、東大は中と外に区切られてしまっているんだ」と語ったラストシーン。見ている人が直感的に理解できるような≪テーマを象徴する絵≫を現場の中でキャッチするのは難しいが、この班はそれをうまく見つけた。

講義では、実習だけでなく座学ももちろん行った。私が関わっている市民メディア団体の作品を紹介したり、ゲスト・スピーカーを招いてお話を伺ったり。5月にこのコーナーでご紹介した絵門ゆう子さん(旧名・池田裕子さん)にもおいでいただいた。絵門さんはその時、ご自分のがんの闘病記を出版された直後で、ワイドショーやニュースなど様々な取材を受けていたので、“番組による取材のされ方の違い”をテーマにお話いただいた。元NHKアナウンサーであり、取材する側とされる側の両方を体験した立場から、大変興味深いお話だった。つい最近では、一昨年の世界学生映画祭でグランプリを撮った『home』という作品の小林監督にも来てもらった。
…のだが、受講生の皆は何故か大人しく、あまり質問や意見が出なかった。せっかくゲストを呼んだのにリアクションが薄く、私としては不満だったのだが…。

倉田:
絵門さんの時も『home』の時も、テーマが重たくて。今までの自分の考え方がグチャグチャにされちゃって、質問も出てこないくらい、考え込んじゃって…。自分の考えをまとめてから、質問したいっていうのはありましたね。

そういった気持ちも含めて、やはり講義の時に言ってほしかった。考えがまとまっていなくても、その場その場で感じた事を言葉にしてぶつけてみる方が、多くの事を学べる。まだ学生なんだから、もっと恥をさらせばいいのだ。

元々、私は4月の時点で、学生自治会作成のパンフレットで、学生のインタビューに答え、こんな風に挑発しておいたのだ。

社会情報研究所が、旧・新聞研以来、半世紀以上も活動していながら殆ど現実のメディアを変えられていないことを、所属学生は「半分は自分たちの責任」として自覚すべき。講義は化学反応なんだから、内容の50%は生徒側にも製造責任がある。あえて君たちに喧嘩を売ります。社情研を変える意気込みで、どんどん講義に注文をつけてくれ!

しかし、みんな大人しくて、結局誰も喧嘩は買ってくれなかった。皆の反応がなかなか見えなかったので、一学期終えての感想を、この場で聞いてみたい。(その前に、第1回目の授業を終えた時には、以下のような感想がメールで寄せられた。)

  • パンフレットを見た感想では、下村先生の授業はすごく大変そうな授業になるのかと思っていましたが、本当にその通りでした。
  • 演習の名の通り、自分が参加してる実感のある授業です。授業の性質上時間のオーバーは仕方ないことだし、気になりません。おもしろいです。
  • とても勉強になりました。「記者会見」は初めてで、すごく緊張しちゃって、何も質問できなかったが、今度もしチャンスがあったら、またぜひ「記者会見」をやってほしいと思います。

(「記者会見」というのは、最初の制作実習で取組んだ課題。受講生全員が“記者”となって“下村健一記者会見”に臨み、私に様々な質問をぶつけてもらった上で、「社情研で下村の講義はじまる」というテーマのラジオ・リポートを制作した。)

  • 私は実践的なことよりも理論的なことへの興味で研究生になりました。だから、「実習」への興味はそれほどなかったのですが、役に立つか立たないかではなくてこの講義を受けていると「次に下村さんは何を言い出すんだろう??」という気になります。
  • 噂に違わぬ刺激的な授業でした。先生が授業中に白装束集団「パナウエーブ」の関係者と電話していたりして、ドキドキしました。

(この電話は、もちろんカリキュラムには組まれていない、ハプニング。この他にも数回、講義中に取材関係の電話が携帯に飛び込んできたことがあった。)

−で、半年終わった今の感想は?

倉田:
僕は、実習をやりたくてこの講義を履修したので、最後の実習で『街』をテーマに映像リポートを作って、編集作業で2日連続徹夜したけど、そういうのも楽しかったりして。自分の力でそういうものを作っていこうかなっていう気持ちを得たっていうのはあります。
笹生:
「面白い」って言葉には色々な意味があって、そこから得たものが大きいです。僕は、最初に映像作品を作るとき、とりあえず、「笑わせればいいかな」って感じで作ってたんですけど、そんなんじゃリポートとしては意味がなくて、もっと興味深い=Interestingな面白さを追求しなさいって言われて。

彼の場合、最初はエンタテイメント的な面白さ=「Funny」ばかりを追求していたが、視聴者がリポートに求めるのは、知的関心を満足させる面白さ=「Interesting」だ。リポート制作であまりに「Funny」を求めると、“やらせ”や“創作”に走ってしまう危険もある。

若松:
私は、作る側の苦労を知りました。今までは、テレビに対して不満もあったんですが、作る側を体験してみて、「大変だな」って思いました。。

この講義の重要なポイントは、≪学生達自身の表現力アップ≫はもちろん、≪作り手が陥りやすい落とし穴を体験≫する事でもある。「こういう風に情報伝導率を上げようとするから、逆にこういう落とし穴にはまってしまう」と、自身の体験を通して実感できるのだ。そうした≪作り手の裏の心理を読む力≫をつけられたのは、この半年間の大きな成果だろう。

▲ ページ先頭へ