アフガンNGO活動紹介V制作中!

放送日:2003/08/23

先月(7月)12日、アフガニスタンで戦後の復興支援に当たっている日本のNGOグループの一つ『JEN』の現地事務所長さんに、このコーナーに出演してもらった。その時、このグループが、宮澤祐介・元TBSアナウンサーをインターンで雇って、自分たちの活動紹介ビデオを制作する、というプランをご紹介した。その宮澤君が、現地撮影を終えて編集のため日本に一時帰国したので、あの時の予告通り、お話を伺う。

−アフガンへは、いつからいつまで行ってたの?

宮澤:
7月4日のアメリカの独立記念日から、8月15日、日本の終戦記念日まで、行っていました。40日間。

−TBSを辞めてからニューヨークで留学中だったと思うけど、どういう経緯で今回のプロジェクトに参加を?

宮澤:
2001年の7月の末にTBSを辞めたんですけれども、その年の9月11日に、ちょうど僕はNYに居合わせたんですが、例のテロですよね。その後に戦争が始まって、「なぜこんなテロが起こったんだろう?」「なぜこんな戦争が起こったんだろう?」と、頭の中にクエスチョン・マークがたくさんできました。それを解決すべく、いろいろアフガニスタンの勉強を始めて、それをどうしても自分の目で見ないと気がすまなくなったんですね。なんとかアフガニスタンに行きたい、見たい、この足で踏みたいという気持ちがありまして、その手立てを、インターネット上で「NGO」「アフガニスタン」というキーワードで探していたんです。

それでいくつかヒットして、web上からメールで応募できるものがいくつかありましたので応募しました。その中で、今回『JEN』は、ちょうど私の持っている技術といいますか、ビデオ制作や取材のスキルを求めていたんですね。彼らは、自分たちの活動の様子をVTRで撮影して編集して、1本のパッケージにして、それをいろいろなイベントで見せることで、アフガニスタンを忘れないでいてもらおう、思い出してもらおうと考えていたんです。僕と『JEN』の、お互いのニーズが合致した形でした。

−それで現地へ行って、期待された任務は果たせたの?

宮澤:
僕はイスラム圏へは、取材はおろか行ったのも初めてだったんですけれども、イスラムでは、男性と女性がまるっきり分かれているっていう、厳しいものがありました。例えば、女性はブルカという布で、頭の先から足の先まですっぽり隠しています。これは、例のタリバンが強制したものだと言われているんですが、今でも半分以上、3分の2くらいの女性は、街中で見るとブルカをかぶっていますので、年齢もわからない、どんな顔をしているのかはおろか、全くどういう人だかわからない、そういう状態です。

−具体的には、何を撮影してきたの?

宮澤:
今回『JEN』が作るVTRは、アジア女性基金から制作費の援助をいただいているプロジェクトですので、その理念に沿うべく、「女性」を中心軸に、『JEN』の現地での活動を撮影しました。

『JEN』の活動というのは、≪緊急から復興へ≫という事で、いくつかの柱があります。
まず1つ目に、生活に絶対必要なもの、これがないと死んでしまうかもしれないという物を配るという、≪越冬支援≫の対象者を撮りました。アフガンの冬は非常に寒いんです。夏は40℃以上まで気温が上がるんですが、冬は雪が降って、凍て付く寒さ。その冬を乗り切るためのグッズ、例えばジャケットや、お湯を沸かすためのやかん、靴、毛布ですとか、そういうものを配る。まさに生きていくための支援ですよね。今回は、『JEN』からこの前の冬に配ってもらった物を見せてもらったり、暑い中申し訳ないんですがジャケットを着てもらったり、そういう形で撮影しました。

2つ目に、住む家をなんとかしようよという≪シェルター・プロジェクト≫を撮りました。アフガニスタンの人全員に住む家をあげるというわけにはいきませんので、中でも大変な状況に置かれている方々、例えば、戦争でご主人を失った未亡人の家庭ですとか、地雷(いたるところに埋められている)で身体障害者になってしまった人達の家庭、そういった家庭に的を絞りまして、シェルターと言いますか、家を作るための部品を配布していく。今回我々は、地雷で片足を失ったお母さんと子供6人というお宅の、家を作っている様子を撮影させてもらいました。ちょうど私が滞在している7月の上旬に、国連の高等難民弁務官の、緒方貞子さんがアフガンにいらしていて、『JEN』の職員が緒方さんに付いて、このシェルター・プロジェクトをいくつか紹介させてもらって。緒方さんは現地の方と並んで座ってお話されたりして、やはりずっと難民の援助に携わってきた方として、ちゃんと、触れ合う術を心得ていらっしゃるなあと感じました。

大手メディアのカメラの前では、サービスの気持ちからのポーズも入ってしまうかも知れないが、NGOのカメラなら、本当に自然な姿が撮れるのだろう。

−他には、どんなものを撮影したんですか?

宮澤:
『JEN』の活動の3つ目の柱として、≪教育支援≫を撮りました。もう2度とこの国が戦争に巻き込まれないように、学校に戻ろう、教育をきちんとしていこうと。タリバン政権は、特に女性が一切学校に行けない、女性教師も学校から追放されるという政策をとっていましたので、女の子は久々に学校に来ているわけですね。それでも、女の子の中には、家族ごとパキスタンだとかイランだとかに難民として逃げていて、現地の学校に行っていた人達もいるんですね。その人達が今アフガニスタンに戻ってきて学校へ行っているので、同じ勉強をしている1つのクラスでも、年齢がまちまちなんですよ。アフガニスタンに残って何の教育も受けていなかった13歳の女の子もいれば、イランやパキスタンでばっちりと教育を受けてきた6〜7歳の女の子もいて、みんな同じ勉強をしている。この教室の様子というのは、おそらく今のアフガニスタンを象徴しているんじゃないかなと思います。

−撮影をしていて、苦労も多かったのでは?

宮澤:
そうですね。やはり女性を、男性である私がカメラマンとして撮影するのは、不可能に近い。学校ですとか、そういう場所では仕事も絡んできますので、先方もなんとか撮影させてくれたんですが、先ほど言ったシェルター・プロジェクトの中で、一般家庭の奥さんや娘さんを撮影するという時にですね、僕がカメラを向ける事は許されない。撮ったテープを僕が見るのは自由なんですが、撮影は許されないんですね。もっと保守的な家庭になりますと、男性の通訳の立会いさえも許さないという家庭もざらです。

そうなると、我々の女性スタッフにカメラを持っていってもらって、ついたての向こう側とかで女性スタッフがその家の奥さんや娘さんに会って撮影する。女性スタッフは日本人ですから、現地のダリ語というのを喋れないわけですよ。だから無言の中でカメラを回して、微笑みだけで奥さんにカメラを向けるという、そういう撮影です(笑)。越冬支援で配ったやかんを見せてもらったりする音は聞こえるんですが、会話はまったくありませんから、これをどうやって編集しようか、今から頭を抱えています。

アフガン南部では、NGO事務所襲撃事件が相次いで、一部の新聞報道では、国連も今月10日から活動を停止したとか。

−実際のところ、治安の面などで、不安はありましたか?

宮澤:
まず、まだタリバンの勢力が強いアフガニスタンの南部では、アメリカ軍の攻撃が続いています。そういう怖さはまず1つあります。
それから、今は警察組織を立て直している真っ最中ですから、治安の面は、良く言えば“これから良くなる過程”、悪く言えば“ボロボロの状態”です。北部のマジャリスタンという町があるんですけれども、ここは北部同盟の拠点にも一時なっていた、タリバン勢力がそんなに強くなかったはずの場所です。ところがその場所で、日本のNGO団体が道路修復等のために持ってきた6万ドルを、事務所に運び込んだその日に、強盗に根こそぎ持っていかれたそうです。当時事務所には2人の職員がいたそうなんですが、1人は便所の中に閉じ込められて、もう1人は、カラシニコフ銃―――アフガニスタンにはいたる所にある旧ソ連製の銃ですが、この銃を突きつけられて、金庫はどこだ、金を出せと。問題なのは、なぜ、6万ドルが届いたその日に強盗がタイミング良く来たのかという事ですよね。どこかから情報が漏れたのか。そういう意味で、情報管理はちゃんとやらなきゃいけないなというのが、この事件の教訓でした。タリバンの勢力が比較的弱い地域でも、こういった治安の厳しさはありますね。

後は、女性スタッフの夜の外出なんていうのは、もってのほかですね。外国人女性というのは目立ちますから。嫌な話ですが、暴行事件というのは昼間でもあるんです。皆見ているのに誰も止めない、なんていう事も首都のカブールであったりして。この治安の悪さ、こういう事がある限りは、いつまで経っても観光地になる事はあり得ませんし、NGO団体や国際機関の職員も安心して働く事ができないという事になってしまうんですね。

強盗がお金を奪うのは“生活苦から”と思えるが、レイプを誰も止めないというのは、“心が荒んでしまっている”という感じがする。

宮澤:
ソ連の侵攻を受けてから23年間、ずーっと戦争を続けていた国なので、何が良いか悪いかの価値基準が崩れちゃっている所があるんですね、国として。例えば、現地の人達と話をしていて、「23年も戦争をしてたんだから、もう君たちコリゴリだろ」と聞いたんですが、彼らはそうは思ってないんですよね。今はアメリカや国際社会の目があるけれど、アメリカが国内から出て行ったらまた戦争だよ、と平然と言ってのけるんです。

彼らにとっては、平和でいる事が通常の状態ではなく、≪戦争=平時≫になってしまっているのだ。

宮澤:
一般の家庭でも、地下にロケット弾とか隠してますからね。これは、身を守るためには仕方がない。そういう皆が抱え込んでしまっている物を、アメリカ軍や国際社会が撤退する前に何とか回収して、平和なアフガニスタンを取り戻す、という事を今一生懸命やっているんですけれども…。人の意識まで変えるのは、なかなか難しいですね。隠しているのを出せと言っても、すぐに出してくれる訳ではないですしね。

−市民メディアに関心がある私としては、その視点からも質問をしてみたいんですが、TBSという看板を背負って取材に行くのと違って、NGOの一員として行く場合の、≪強み≫と≪弱み≫は?

宮澤:
メディアで取材をしている時というのは、アポ取りから始まるわけですよね。電話をして話を聞いて、会ってもらえませんかという相談になって、それからカメラを回すか回さないかという説得になって。でも、『JEN』の一員として取材に行った時、例えば越冬支援の様子を撮る時には、相手がそもそも我々『JEN』に対して非常に好意的ですから、断られる事がないですよね。メディアで取材に行く時には、嫌がられるのを何とか説得して、というのが普通ですよね。ところがNGO団体の場合は“ようこそいらっしゃいました!”というような感じで、もう撮影日程の調整だけで済んでしまうんです。

−逆に、NGOで行く事の弱みは?

宮澤:
メディアにいた人間として感じたのは、「我々はこんなに良い事してるんですよ」とPRするのは易しいんですけれど、それが第三者に、嫌味なく、鼻につかない形で分かってもらうというのは、実は難しいんじゃないか、という事です。これから編集するにあたって、そういう鼻に付いてしまうような自画自賛的な要素をどうやって排除するかが、難しさだと思っています。

−このビデオは、完成したらどうするんですか?

宮澤:
『JEN』へ資金を提供してくださる「ドナー」の皆様に見ていただいて、『JEN』はこういう風にお金を使っていますよ、という事を分かっていただく。それがそもそもの目的です。

それから、9月11日には、9.11テロ関連のイベントがたくさんありますから、そこで、広く一般の皆さんに見ていただく。9.11は覚えていても、アフガニスタンの事は記憶の中で薄らいでしまっているという部分がありますから。そういう用途です。

−大手メディアが伝えなくても、自分たちで伝えていくぞ、という事?

宮澤:
そうですね。できればメディアとも良い関係が保てれば良いんですけれど。例えば、メディアにも良い所と悪い所があって、何か大きな事件が起こるとワッと皆で注目するんですけれど、その後、継続性を持って追い続けるのがなかなか難しい構造になっていますよね。NGOは、≪継続が全て≫なんですよ。だからNGOとメディアは、ギブ&テイクで、良い関係が生まれるんじゃないかと思います。NGOはメディアに乗って宣伝される事で、周囲の理解も増えますし、そうすると資金協力も仰ぎやすくなってくる。メディアの方は、例えば「アフガニスタンが今どうなっているんだろう」と思っても、現地へ人を送って取材するのはなかなか難しかったりもするので、現地にいるNGOの人達に情報提供を仰いだりする事ができる。そういう形で、助け合う事ができるんじゃないかと。

マンパワーや資金力を生かした大手メディアの≪瞬発力≫と、細く長くのNGOの≪持続力≫。両者の連携が増えていけば、確かに面白いかも知れない。

−宮澤君自身は、これからどうするの?

宮澤:
僕自身は今学生ですので、9月から授業が始まりますので、NYの学校へ戻ります。来年5月に卒業した後は、まだ白紙、何も決まっていません。

自分が持っている技術を活かして、メディアを使って何かコンテンツを作る事が、一生をかけてやっていく仕事だと思っています。今回は、自分が持っている特性と、NGO団体のニーズがうまく噛み合った形で、非常に良い仕事ができましたので、これからもこういう形を、オプションとして自分の中に持っていたいと思います。

今回のプロジェクト自体が体現したように、大手メディア(またはその出身)の人間が持っている≪映像についての専門知識≫と、NGOの≪現場についての専門知識≫、この2つのコラボレーションの意味も大きい。宮澤君のビデオの完成が楽しみだ。

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