長崎原爆忌、「ヒバクシャ」鎌仲監督に聞く

放送日:2003/08/09

今日8月9日は、長崎に原爆が投下されてからちょうど58年の日。この長崎原爆に使用されたプルトニウムを生産していたのは、米国ワシントン州の核施設だったのだが、「その周辺で、実は住民たちに健康被害が続出していた」という証言などをリアルに描いた映画が、今、全国各地を静かに自主上映会で巡回している。
私も見て来たその映画『ヒバクシャ』を作った鎌仲ひとみ監督に、今回はお話を伺う。

−映画のタイトルは『ヒバクシャ』ですが、漢字ではなくカタカナにした意味は?

鎌仲:
日本人にとっては、長崎と広島の原爆の被害者がヒバクシャなんですよね。日本だけが唯一のヒバク国であって、日本にしかヒバクシャがいないと思っている方がたくさんいらっしゃるんですけれども、実はそうではなくて、“ヒバク”というのは2種類あって、原爆が炸裂した時の直接的な≪被≫(“火”偏に“暴”という字)と、残った残留放射能を体内に取り込む、≪被≫(“日”偏に“暴”という字)があるんですね。私の『ヒバクシャ』は、どちらかというと、≪被曝≫者の方を指しています。そういう被曝者は、実は世界中にいらっしゃって、今も増え続けていて、しかも影に隠れて見えにくくなっています。だけど、その人達がヒバクシャという存在としていろんな苦しみを背負っている、という事があるんです。

−なぜ、このテーマで映画作りを始めたんですか? ヒバクシャ問題と何か個人的接点が?

鎌仲:
日本のヒバクシャの方には、会ったこともなかったんですね。私はドキュメンタリー映画を作る作家なんですけれども、そういうテーマで映画を作ろうとも、思ったことがありませんでした。

それが、98年にイラクに行ったんです。イラクの普通の人や子供たちがどういう風に生きているのか、日本では当時伝えられていなかったので、直接取材しようと。そこでたまたま、イラクに通って薬を運んでいるっていう日本人のNGOの女性がいて、彼女から、「癌とか白血病が増えている」と聞きました。だけどそういうきちんとした報道は、当時私が知る限りではなくて、私も考えてみると、イラクについて何も知らないし、知りたいし、もし本当にそういうことが起きているんだったら、ちゃんと報道すべきだと思って、当時ちょっとキナ臭かったんですけれども、取材に出かけたんですね。

そこでその子供たちが入院している病院があったんです。イラクは元々、医療がもの凄く発達した、中東でも唯一の国だったんですけれども、新しく白血病棟を作って、白血病の子供たちがたくさん入院しているわけですね。経済制裁で薬がなくて、しっかりした治療が出来ないから、どんどんどんどん亡くなっていく、そういう状態でした。子供って、自分に何が起きたか、客観的によくわからないじゃないですか。「何でおうちにいられないのかしら」とか、「なんで注射されるのかしら」とか、ボーっとして、不思議そうにベッドの上にいるんですけれども、そのまま黙って死んでいくんですよね。

映画の中でも、その子供たちの1人、ラシャちゃんという女の子が描かれている。

鎌仲:
そう、ラシャは、14歳なんですけれど、ちょっと大人っぽい感じの女の子で、戦争がすごく激しかった、南方のバスラから来ていました。亡くなる前に、私に「親愛なるカマ、どうか私のことを忘れないで」というメモを手渡してくれたんです。それが、声なき子供たちの、私に届いたメッセージだったんですよね。

彼女は白血病だったんですが、免疫が落ちて、日本だったら簡単に治せるような感染症が、本当に医療物資が何もなくて、そのまま見殺されるように、亡くなってしまったんです―――。

そこを起点に映画はスタートし、まず、湾岸戦争で劣化ウラン弾の被害に遭ったイラクの人たちを追う。そこから舞台は一転し、長崎・広島へと移っていく。

鎌仲:
私は、さっき申し上げたように、原爆についての知識がなかったので、イラクで子供たちに会った時は、「劣化ウラン弾の被害者」「経済制裁のせいで薬がない」「なんてひどいんだろう」としか思えなかったんです。日本に帰ってきて、(原爆の)ヒバクシャの方に会いに行ったんですよ。肥田舜太郎先生という、自分もヒバクしながら、50年間ヒバクシャ医療を続けてきた、今年86歳になるお医者さんから、「イラクの子供たちはこんな状況ですから、なんとかできませんか」と言ったら、「被曝は治らない、治せないんだよ」と言われたんです。

それで、「そうか、あの子たちは被曝しているんだ」と、≪体内被曝≫について知りました。イラクもヒバクシャだったんだ!と。だから私は、日本のヒバクシャに会う前に、イラクのヒバクシャに会ったということが、気付きだったというか。私の中に、世界の見方が1つ、生まれたんですね。日本だけにとどまらず、イラクにも世界中にも、被爆者だけではなく≪ヒバクシャ≫がいる、とう事がハッと見えてきたんです。そこから映画が始まったんです。

−初めて日本のヒバクシャの方に会って、何を感じましたか?

鎌仲:
自分が「57〜8年前の過去の事だわ」と思っていたその人達の存在が、時間を越えて立ち上がってきたんですね。イラク取材で≪空間≫を越え、日本取材で≪時間≫を越えて、今ここにいる自分と関係がある存在になった。被曝するっていう事が、私たちの身近にも起きている、という気付きが得られたのです。

かくして、肥田さんと鎌仲さんは一緒に渡米し、米国北西部ワシントン州ハンフォードの、核製造工場の地域を訪ねることになる。ここは、58年前の今日(8月9日)長崎へ投下された原爆に使われたプルトニウムが作られた場所だ。風下で農業を営むトム・ベイリーさんが、車で近所を走りながら、住民達の健康被害について説明してくれるのだが、その証言はあまりに深刻で、俄には信じ難いほどだった。

鎌仲:
「デス・マイル」、“死の1マイル四方”という風にトムは名づけていました。第2次世界大戦後の冷戦時、ここでは、核施設からわざと実験的に放射線物質を風下にばらまいて、そこで健康被害がどう起きるかを調査していたらしいんです。アメリカがソ連に負けないために、量産体制を作るための実験だったようです。本当に俄かには信じがたいですが、そういう機密書類が、80年代の後半にあるきっかけがあって公開されて、それをジャーナリスト達が何万ページもあるものをひっくり返して調べ上げたんですね。当時もの凄いスキャンダルになって、政府もそれを認めたんです。

アメリカでは、ある程度の時間が経った機密文書を公開するというケースがよくあるが、今回の場合、現在進行形の問題だけにショッキングだ。

鎌仲:
その事実が分かった時の、風下に住んでいる農民達の反応っていうのが、根本的な≪人間と核の在り様≫を象徴しているなって、私はすごく思いました。

まず政府は、「汚染したという事実」は認めたんですが、「健康被害との因果関係」は否定したんです。“放射能による汚染はあるけれど、あなたたちの癌とは関係ない”と。そうしたら農民たちまでが、自分たちで自分たちの健康被害を否定したんです。トムだけが、“おかしいじゃないか”と、政府のせいで家族や同級生も半分は死んでしまったと、そういう事を告発しました。
ところが周りがよってたかって、“政府が安全だと言っているんだから安全に決まってるだろ”“お前はそれでも愛国心があるのか”と言われ、銀行は彼に対する融資をカットし、ものすごく不利に立たされる事になったんです。

農民たちが自分たちに健康被害があったという事を認めたら、その農地はもう、なんの役にも立たないわけですよ。農民たちは、そこで作物を作って、その作物を輸出して(日本にも来ているんですけれど)食っていかなければならない訳ですから、人体に有害な産地だと認めたとたんに、自分の生存条件が危うくなってしまう。だから、自分で自分の被害を否定しなければならないっていう窮地に追い込まれるわけです。

「因果関係を認めない」という所で、国と農民の利害が一致してしまったわけだ。

鎌仲:
放射能って、目に見えないんですよ。で、被害も目に見えない。確かに人は死んでいくけれど、体内被曝はゆっくりと時間をかけて死んでいくので、はっきりとした被害が見えないんですよね。

映画の中では、農民たちの正反対の2つの反応が、きちんと画面上に出てくる。告発しているトムさんの弟が“全然気にしていない”と涼しい顔で語ったり、ハンフォードの核施設の技術者が“何も問題はない、データが物語っている”と言い切ったりする。

−映画の一観客としては、この技術者の論拠である“データ”というのを、もう少し詳しく知りたかったんですが、映画の中ではあまり解説されませんでしたね?

鎌仲:
政府が2千万ドルをかけて行った、風下住民の甲状腺の検査というのがあって、その結果はホームページで誰でもアクセスできるようになっています。でもそれは、施設側の技術者が言っている内容をそのまま文章にしただけなんです。何の数字も出てこない。ただ“被害は無い”って結論だけが書いてあるんですよ。“放射能によって甲状腺障害が引き起こされるメカニズムはあるけれども、風下住民においては、なんら、因果関係的な有意の上昇は認められない”って、4ページだけで書いてあるんです。

疫学的な調査ですから、統計学の専門的な分析が必要になるんですけれど、それがどう行われたかっていう事は、素人が見てもわからないし、その調査がいつ、誰を対象にして行われたかも、実は不明なんですね。

このように、映画では日本・イラク・米国という3ヶ国のヒバクシャが次々に登場し、かなり考えさせられる。しかも理屈っぽくなく、三者三様の現場の様子を見せ付ける事で観る人に訴えかける、現場主義の直球勝負な映画だ。

−この映画は“自主上映会”で巡回しているとの事ですが、どういう形式なんですか?

ヒバクシャ鎌仲:
:『ヒバクシャを見る会』というのが立ち上がったり、あるいはもともと平和活動をしていたり、そういった草の根の市民団体に、私どもからフィルムを借りていただいて、主催者になってもらっています。
自分たちで会場を借りて、宣伝もして、上映する日に観客に集まってもらって見てもらう。やり方は様々なんですけれども、見終わった後にみんなで話し合ったりとか、グループの中で共同作業が行われているという形です。今現在で、大体90の団体が上映を行っています。
目標は200くらいです。

こうした≪情報の伝わり方≫が、最近増えてきていると感じる。これもまた、市民メディアの一形態である。

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