池田小事件遺族・本郷さん手記出版(前半)

放送日:2003/06/21

虹とひまわりの娘大阪教育大附属池田小事件から、今月8日で丸2年が経った。記念日だけ思い出したように騒ぐメディアの波がサッと引いていったこのタイミングで、敢えて1冊の本を採り上げる。事件で刺されて亡くなった本郷優希ちゃん(当時2年生)のお母さん・由美子さんが、先月手記を出版された。今週火曜(6月17日)、池田小の近所にある本郷さんの自宅にお邪魔し、由美子さんの話を伺ってきた。

由美子さんが出版されたのは、『虹とひまわりの娘』(講談社・本体価格1400円)。表紙には、ピンク色の地に白い天使の羽があしらってある。この優しい表紙の装丁が表している通り、悲惨な事件が題材なのに、とても温かい本だ。この本が書かれた目的は、
(1)「絶望の中で、大勢の善意に支えられてきたことを伝えたい」から。

全編、周囲の人々の素晴らしいサポートぶりへの感謝に満ち溢れていて、私も読んでみて感動で泣き放しだった。
後書きには、由美子さんがこの本を書かれた目的が、「感謝」の他に2つ挙げてある。

(2)皆に『子供を守る』意識を新たにし、子供が安心して暮らせる世の中作りの一助に。
(3)ひとりでも多くの方に、犯罪被害者の遺族の置かれている立場・実態を知ってほしい。

事件《そのもの》について詳しく知ってほしい、ということではなく、事件の《後》の、遺族の置かれる実態を知ってほしい、と書かれた本なのだ。ただ、この本は一律に「犯罪被害者遺族って皆こうなのです」と言っている訳ではない。実際、本郷さん夫婦の間でさえ、苦しみ方はかなり違ったという。本を読む私達は、あくまで、≪1ケースとして≫受け取りたい。

本に書かれている由美子さんの場合は、

  • 外出中、たまたま小学生の下校時間にぶつかり、フラッシュバックが起こった。どの子の背中にも包丁が刺さって見え、思わずへたりこんでしまった。
  • 人の動きが突然ビデオの早送りのように見え、「置いていかれる」と猛烈な不安感が。
…等の体験をされた。

やはり、凶器に使われた包丁への恐怖感のようなものは強烈で、なかなか拭い去れるものではないのだろう。事件から2年が経った今でも、由美子さんは、台所で出刃包丁が持てないという。少しずつ克服しようとしている様子が、本の一節にある。

(『虹とひまわりの娘』より)
夏休み明けには、数種類のハサミを使って、なんとか食材を切り分けられるまでになりました。慣れないせいもあって、下の娘のお弁当に入れるタコのウインナーは、切り口がボコボコになってしまいましたが、嫌がりもせず「おいしいよ」と言ってくれた娘には、本当に感謝しています。
ハサミに慣れてくると、次の段階として小さなバターナイフを使ってみることにしました。そんなふうにして、少しずつステップアップして、いまではようやく、先の丸い子ども用の包丁を持てるまでにたどりつきました。けれど、先のとがった包丁には相変わらず強い拒絶反応があります。私の包丁恐怖症はまだ継続中なのです。


このことについて、由美子さん御自身に伺った。

本郷:
元に戻りたいとは思うんですけれど、まだどうしても怖くて…。フラッシュバックが起きてしまうんですね。“この世に包丁という存在が無ければ良かったのに。そうしたらこんな犯罪は起きなかったのかもしれない”なんていう考えまで浮かんできてしまって。

由美子さんは、本人以外には想像もつかないような事で、まだ毎日毎日、事件の影と戦い続けている。
そんな状況に苦しんでいる人に、周囲はどう接するべきなのだろうか。これは本当に難しい。この本には、由美子さんが周囲の人達に支えられた感謝が書かれているが、それは周囲の接し方の≪成功例≫。周囲の人間がどんな言動をとるべきではないのか、≪失敗例≫からも学ばなければいけない。そこで、敢えて、“言われて辛かった言葉”を聞いてみた。

本郷:
うーん…。「がんばって」、ですね。「下の子の為にがんばって」「いつまでもくよくよしていたら優希ちゃんが可哀想だ」という言葉に、最初はとても傷つきました。「がんばって」は励ましの言葉なんでしょうが、私達のようにどん底に突き落とされた人間には、「これ以上がんばれない」という気持ちが先に立ってしまうので、とても辛い言葉です。弁護士の岡村先生が事件後すぐ来てくださって、「頑張らなくていいんです」と言われて、本当にホッとしたというか、自分の中のプレッシャーがサーッと引いていく思いでした。

岡村弁護士というのは、6年前、東京・小金井市で起きた事件で奥様を殺された当事者の方。岡村弁護士は、事件発生9日後に、8人の犠牲者の家庭を一軒ずつ訪ねた。神戸の酒鬼薔薇事件の犠牲になった土師(ハセ)淳君のお父さんなど、犯罪被害者家族の方4人連れ立っての訪問だった。これで大変気持ちが救われたという。報道はされていないが、同じ立場の人同士による支え合いが、静かに、しっかりと、進められるようになってきている。

その支え合いの輪は、海外にまで広がっている。99年4月に起こった、米国コロンバイン高校での銃乱射事件。生徒や教師13人が射殺され、銃社会アメリカでも、人々に大きなショックを与えた。この事件の遺族からも、現地在住の日本人の仲立ちで、池田小事件の遺族に支援のメールが届くようになった。去年開かれた池田小の「8人の児童の追悼式」に寄せられたコロンバイン事件の遺族代表のメッセージが、本の中に紹介されている。

(『虹とひまわりの娘』より…コロンバイン事件遺族代表のメッセージ)
こちらには政府による犯罪被害者を支援するシステムがあり、どんな犯罪の場合でも助けに来てくれます。彼らは、事件の起こったその日から、情報収集、心のケア、連絡係などの役目を果たし、私たち遺族を支えてくれました。日本にもこのようなシステムを作るなら、みなさんは大変貴重な助言を受けることができるでしょう。―――中略―――
世界中からの応援が私たちを勇気づけ、支えてくれました。国内でも大統領をはじめ、閣僚、地元の議員や州知事、市民運動関係者の方たちなど本当に多くの方が、時間をさいて訪ねてくださいました。私達は目標を達成することができ、少しずつ心が癒されていったのです。温かい政府の支援は、その大変重要な部分を占めています。
みなさんも、けっして目標を失わないでください。そして、8家族力を合わせ、一体となって支えあってください。

コロンバイン事件の当時、私はニューヨークに住んでおり、事件当日もテレビのニュースで1日中様子を見ていた。テレビでは、事件発生後すぐ、まだ事件が解決されず上空からヘリコプターで動きを伝えている段階から、「事件にショックを受けた人のためのカウンセリング電話番号」や、「大統領のコメントが何時に発表される」といった情報が流れていて、その対応の違いに驚かされた。

それに比べて日本政府の体制はどうか。
由美子さんの本は感謝を綴ったものなので、日本政府への苦言は語られていない。あえて又、その部分をそっと尋ねてみた。

本郷:
「アメリカでは、例えば被害者の兄弟をケアするこういう施設がある」とか、たくさん情報を教えてくださったんですね。それで日本で問い合わせても、なかなかそういうのがなくて、自分で探すしかなくて。他の事件に巻き込まれた方と連絡を取り合って、そういう方の情報を頼りに、自分で努力していかないと見つからないんです。どうしてこんなに遅れているんだろう、という気持ちはありますね。
でもこれからは、自分自身で、できることがあったら少しずつ進めていきたいという気持ちにはなってきています。

政府の遅さを批判するより、もう自分でできることをやっていこう、ということだ。そういった動きの一環として、先ほど紹介した、事件直後の4人の訪問もあったわけだ。
さらに、犯罪被害で兄弟姉妹を失った人の心のケアに取り組む、『B&S』(犯罪被害者きょうだいの会)という団体も、この事件をきっかけに、当の本郷さんたちが知らないうちに誕生していた。本郷さんは、優希ちゃんの幼い妹の今後が心配で、ネットの検索でこのHPを見つけた。メールを出したところ、こんな返事が届いたという。

(『虹とひまわりの娘』より…『B&S』メンバーから由美子さんへのメール)
「それまでの私たちは、個人個人の結びつきで『きょうだい』の存在を求めていました。同じ立場で悩みを打ち明けられる相手や、心のよりどころを求めていたんです。でも、もし、私たちのように、そういう相手を見つけられない遺族の人たちは、どうやって悩みを克服するのだろう、という疑問が生まれてきました。その矢先、附属小の事件があり、メール仲間と『事件で亡くなった子どもたちのきょうだいは、ちゃんとケアを受けているのだろうか?』という話になりました。『あなただってつらいよね。でも私たちはきょうだいだもんね』と手をつなぎたいと思います」

今、本郷さんは、この会を支援していこう、と決めている。

本郷:
今、下の娘は事件の詳細を知らないんですが、いつか必ず知る日が来ます。まわりからもいろいろ言われて、思春期も迎えて、親に言えない悩みも出てくると思います。私が『B&S』と交流を持っていれば、下の娘が悩んだ時も助けていただけるんじゃないかなって思っています。この会は発足したばかりですから、私もできることを支援していきたいです。この会がこのまま続いていってほしいっていう気持ちがあるので―――。

最初に紹介した、執筆の目的の(2)《皆に『子供を守る』意識を新たにし、子供が安心して暮らせる世の中作りの一助になったら》という部分について、由美子さんはどのように現状をご覧になっているのだろうか。

本郷:
事件当初は、まわりの人に「子ども達を守ろう」という意識があったんですが、残念なことに、私が見ている限りでは、時間が経つとだんだん薄れいっているような気がするんです。“自分の身には絶対起きるはずがない”。私もそうでした。多分、だんだん、そうなってしまうのかもしれないですね。私も外に出るようになって、いろいろ見ていると、「危険だな」と思うことがたくさんあるんです。このままだとまた同じことが起きてしまうんじゃないかって、すごく恐怖感に襲われてしまいます。
自分にできることはなんだろうって考えた時に、「子ども達を守ろう、という意識を持ってください」って、自分のまわりからでも少しずつ伝えていけたらなって思ったんです。本を書くのはとっても辛くて、挫けそうになりましたけれど、いつも優希が一緒にいてくれる、私は今優希と一緒に、この本を仕上げようとしてるんだって、そういう気持ちになれたので、何度も何度も辛くてペンを置くことがあったんですけれど、最後までこうして書くことができました。

今回ご紹介した内容の他にも、この本にはたくさんの要素がある。優希ちゃんの生き生きした様子、池田小の子供たちの今の様子、読者から寄せられた素晴らしい感想など、この続きは次回!

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