目から鱗!不耕起田は緩速濾過と同発想

放送日:2003/05/31

今回はまず、前回ご紹介した絵門ゆう子さんの本についての続報をお伝えする。

絵門さんの『ガンといっしょにゆっくりと』(新潮社)は、先週月曜(5月19日)から本屋に並んだのだが、早くも第3刷になることが決定した。“元NHKキャスター・池田裕子”の知名度もあろうが、同種の有名人闘病記の中でも特に好調な売れ行きだ。やはり、「ゆっくりと」というスタンスへの共感があるのではないだろうか。表紙を飾るエムナマエさんの絵も、内容とシンクロした優しい絵だ。表には封書(メッセージ)をくわえて飛んで来る鳩の絵、ウラ表紙には、絵門さんの「一歩一歩進んでいく」という心境にピッタリの階段の絵が描かれている。

絵門さんには、今週はじめ(5月26日)、下村が講師を務める東京大学の「ジャーナリズム演習」の授業に出ていただいた。
先週一杯、絵門さんは様々なメディアに取材を受けたが、ワイドショーでの“お涙頂戴”的な取り上げられ方に、残念な思いをされている。絵門さんご自身もかつてはTBSのワイドショーに出演されていた。授業では、取材する側とされる側の両方を体験してみて、という点からお話していただいた。

さて、ここからが今回の本題。今週TBSラジオでは『耕せ日本』と銘打って、日本の農業を応援するキャンペーンをやっている。当コーナーもそれに合わせて、今静かなブームとなりつつある「冬期湛水田」の、意外な理論的サポーターに眼をツケる。

「冬期湛水田」は、土を耕さない「不耕起」とセットになった農法で、実際にやってみると、水の中で生物たちの営みが生まれ、稲作自体にも環境にも非常に良い影響を及ぼすという。この古くて新しい農法に、意外な他分野の研究者が、援軍として登場した。水道水の濾過システムを研究している、信州大学教授の中本信忠先生にお話を伺う。

中本先生はつい先日、この「不耕起・冬期湛水田」の普及に努める『日本不耕起栽培普及会』会長の岩澤信夫さんらと、ジョイント講演会をされた。タイトルは、≪生き物たちの働きを知ろう≫。これが、一見関係のないように見える「不耕起・冬期湛水田」と「理想の水道水濾過システム」とを結ぶキーワードだ。

中本:
水田に濁り水が入ってきても、水田から出て行く水には濁りがない。なぜかと言いますと、水田の中では、濁り水が沈殿するだけでなく、生物が水の中の濁り物を食べてしまっているんですよ。生物は食べた濁り物を糞塊にする。糞の中で分解、発酵がおこる。無機化がすすむ。栄養塩になる。水質浄化の主役は、生物なんですよ。
私が研究する水道水の理想の濾過システムは、「緩速ろ過処理」というものです。これも、生物の力で水質浄化し、安全でおいしい飲み水にもできるシステムです。

冬の間田んぼに水を張っている、千葉県のコシヒカリ農家の方の報告が、雑誌「現代農業」の昨年11月号に載っている。そこには、田んぼの水の中の生物達の働きが詳しく紹介されているが、中本先生によると、それ以外にも、「不耕起・冬期湛水田」には≪水をきれいにする働き≫があった、という。
中本先生は、上記の報告を書いた千葉県の農家の不耕起・冬期湛水田を、3月に視察された。

中本:
実際行ってみて、『ああそうだ、水田は本来はこんなだったんだ』と思いましたね。私は普段、住宅地と勤め先を往復していて、『人間は本来、自然の恵みを利用していた』『自然と共存していた』ということを忘れていたんですね。
そもそも大昔は、稲作にも湿地を利用していました。湿地には、色々な生物が活躍しています。無機化、栄養塩の循環の主役も生物。濁りの除去の主役も、水質浄化の主役も生物。全部、生物なんですよ。

普通に行われている稲作では、一度冬場に水をぬいて田んぼをカラカラにしてしまうので、生物もいなくなってしまい、こういうシステムが成り立たない。
この≪生物を主役としたシステム≫が、「不耕起・冬期湛水田」と中本先生の研究分野との共通点だ。

−先生が研究されている「緩速ろ過システム」とは、どんなものなのでしょうか?

中本:
水道水を得るための濾過には、「緩速濾過」と「急速濾過」の2つの方法があります。
私が取り組んでいる緩速濾過処理では、1日に5mというゆっくりした速度で、水が砂層を通過して「おいしい飲み水」になります。1日に5mということは、1時間に20cm移動する流れです。こうしてゆっくり砂濾過すると、砂層上部にゾウリムシとかワムシとかいう微小動物がたくさん生まれてくるんです。それが、病原菌や細菌まで食べて糞塊にし、分解してくれる。だから濁りもない、病原菌もいない、きれいな水になるんですよ。
一方、急速濾過処理は、早い速度で水を流しますので、こうした微小動物が流されてしまって、生息できないんです。ですからこの方法は、凝固剤で濁りを沈殿させ、上澄みを最終的に塩素消毒して飲み水にする方法です。

つまり、「緩速」は生物の力で水を浄化、「急速」は主に薬品の力で浄化している。だから、冬期湛水田のシステムは「緩速濾過」と共通している、というわけだ。

中本:
「緩速濾過」はもともと、自然を見習って考案されました。河原で湧いている水たまりは、本流が濁っても清澄です。それを人工的に真似たものなんですね。
「緩速濾過」は英国で約200年前に考えだされ、最初は、濁りがないというだけで喜んでいました。しかし、この水を水道水として配っている地域では、コレラなどの伝染病が流行らないということがわかり、病原菌も除けていたことがわかったんです。

中本先生のホームページに掲載されている資料の中に、ドイツで100年余り前にコレラが流行した時の、死亡者と感染者の分布を表したものがある。ハンブルグとアルトナという二つの隣接する地域を比較したものだが、アルトナの方が感染者も死亡者も劇的に少ない。アルトナでは「緩速濾過」によって水道水を供給していたため、コレラの病原菌が取り除かれていたのだ。

中本:
「緩速濾過」は明治の最初に日本に伝わり、戦前は主流だったんです。しかし戦後は、米国式の「急速濾過」が、日本の主流になりました。
今でも実は1万箇所ぐらい「緩速濾過」の施設は残っているんですが、「緩速」なのに水槽にフタをして藻の生育を抑えてしまったり、塩素を混ぜたりと、全然本来の力が理解されてないんです。

≪自然≫が持つ力を信じきれず、余計な人工的お節介をしてしまうわけだ。

中本:
考えてみたら、日本は生水を飲む習慣がありますね。それは、自然界の生物群集が活躍して、安全でおいしい清水がたくさんあったという証拠なんですよ。日本の原風景である水田に張られた美しい水、日本が誇るおいしい水道水、どちらも生物が活躍してできたんです。自然界の生物は、皆役に立っているんです。無駄な生物はいないんですよ。

中本先生は去年、この「緩速濾過」システムを見直そう、という内容の本を出された。「生でおいしい水道水〜ナチュラルフィルターによる緩速濾過技術」(築地書館・本体価格2000円)。別の研究者も、「熊本にある非常においしくて綺麗な地下水は、上流に水田が多く、水田を通って濾過されていた」という研究結果を近々出版するという。

冬の田んぼに水を張り始めた農家の人と、昔ながらの浄水システムの研究者。違う目的で出発した二人が、互いの共通点に気付いて一緒のシンポジウムで壇上に並ぶ。―――なんだか、自然の力への“敬意”が回復してゆく大きな時代の流れが感じられる。情緒的なアプローチだけではなく、科学的に突き詰めていっても≪自然へ回帰≫する、そんな時代が来つつあるのかも知れない。

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