サリン被害者と専門医達が初の交流会

放送日:2003/05/03

 先週土曜日(4月26日)、元オウム真理教の松本智津夫被告に死刑が求刑された翌々日に、松本・地下鉄両サリン事件の被害者と専門の医師達との、初の交流会が行われた。今回は下村が、この交流会を主催したNPO『リカバリー・サポート・センター』事務局スタッフ兼、当日の司会者としてお伝えする。

 以前このコーナーでも紹介した『リカバリー・サポート・センター』は、松本・地下鉄両サリン事件の被害者をサポートしている団体。年に一度、ボランティアの医師や民間団体による被害者の健康診断を行っている。被害者支援に腰が重たい国に代わって、寄付金によって運営されている。

 今回の交流会では、河野義行さんをはじめ事件の被害者およそ20人、事件当時からサリン被害者を担当してきた専門医6人、『リカバリー・サポート・センター』理事長の木村晋介弁護士らが集まった。松本・地下鉄両サリン事件の被害者は全部で約6000人。全体から見ればこぢんまりした会に思える。しかし、今まで一対一の問診でしか顔を合わせることがなかった被害者と医師が、初めて一堂に会し、包括的な情報交換を行うことができた。

 サリン被害者の中には、世間の目を気にして、自分が被害者だと公言できない人もいる。司会者としては会場が静まり返ってしまうのではないかと心配したが、参加者達からは次々に自覚症状の紹介や医師への質問が挙がった。参加者の発言をいくつかご紹介する。

 まずは、今から3年前(事件から4〜5年後)、職場の内装工事の途中で突然倒れてしまい、それが引き金で退社してしまった女性。様々な病院へ行ったが「更年期障害だろう」と言われた。倒れてから1年後、『リカバリー・サポート・センター』から紹介された病院で初めて、「化学物質過敏症」と診断された。サリンを被曝したことが誘因になっていると考えられる。この女性は、「自分のような例もあるので、なるべく化学物質には接しない方がいいですよ」と情報提供した。

 この例のように、事件から数年経って症状が出た場合、その症状をサリンによる後遺症だと認定することができるのか。また、認定できたとしても、教団側に補償を請求することができるのか。この疑問には、木村弁護士が答えてくれた。
 事件との因果関係が100%と言えない場合でも、「割合的因果関係」という考え方が適用できるかもしれない、とのこと。「割合的因果関係」とは、例えば、症状の原因がサリンである可能性が30%あるなら、30%分だけ補償する、という考え方だ。交通事故が示談で決着した後、予期していなかった後遺症が出たケースで、適用された例が実際にある。

 地下鉄サリン事件では、通勤途中の勤労者が多く被害を受けた。交流会で資料として配られた日本医科大学名誉教授・南正康氏の論文によると、同じ勤労者でも、女性の方が仕事を辞めている割合が高いという。会社が露骨に辞めさせることはないだろうが、女性の方が職場を追われやすい空気が依然としてあるのだろう。サリン事件を通して、日本社会の有り様までが透けて見えた。

 次にご紹介するのは、地下鉄サリン事件の際に車両内で被曝した男性。サリンが発生してすぐに走って逃げ、地上に出たところで気絶し、その後2週間入院した。目の前で倒れて苦しんでいた二人が、後に犠牲者として新聞に載っていた。退院後は後遺症もなく、もう大丈夫だと思っていたが、事件から3年後に症状が現れ始めた。毎年、地下鉄サリン事件の時期が近づくと、違った症状が出る。今年2月には、肩甲骨に激痛があり、脂汗が出て息も出来ない状態になったという。
 この症状は何なのか、という質問に、聖路加国際病院精神科ナースの川名典子さんが応えた。詳しく問診する必要があるが、話を聞く限りでは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の典型で、「記念日反応」だと思われる。記念日が近づくことで、なんらかの症状が現れるケースだ。

 このように、一見してサリンの影響と確信できないような症状も多々ある。「そういえば自分にも思い当たるフシがある」という被害者もいたかもしれない。個々のケースを、こうしてオープンな場で相談する意味は十分にあった。

 これらの質疑応答に先だって、専門医5人から、それぞれの分野で今わかっていることについて報告があった。これはかなり学術的・専門的で一般人には難解な話になってしまい、司会者としてはほぐし切れなかった反省点が残る。ただはっきりわかったのは、医師たちが口を揃えて、「この事例は人類史上初のサリンによる被害。参考になるようなデータはどこにもないので、この事例から学んで行くしかない」と強調したことだった。
 定期検診で一番多く検診を行っている南正康氏によると、問題はサリンよりも、サリンが合成される際にできた副生成物だという。サリンは殺人を目的に研究されて作られたものなので、データはまだある。しかし、事件の時、ビニール袋から発生したのはサリンだけではない。得体の知れない副産物も一緒に発生し、被害者はこの副産物にも被曝している。これらの副産物については、まったくデータがないのだ。

 ボランティアの医師達による自主的な研究だけでは限界があるが、国が研究に資金を投入するような動きは、少なくとも目に見えてはない。重要なテロ対策だと思うのだが…。

 今回の交流会では、『リカバリー・サポート・センター』が行う定期検診が心の支えになっているという声も多く上がった。
 ある男性は、事件後お腹の調子が悪くなり、大学病院へ行ったが冷たくあしらわれてしまった。それ以来、サリンの被害を受けたと言い出しづらくなってしまったという。事件から2年目、ある病院で「大変でしたね」と労われてやっと症状を語れるようになり、心の傷を治療するために精神科へ通院をはじめた。保険を請求するためには会社へ通院を知らせなければならないのだが、「精神科に通っていることが職場に知られたら…」と不安で、未だに言い出せずにいる。この男性は、「何でも言える『リカバリー・サポート・センター』の定期検診が、年に一度の活力源だ」と語った。
 また、74才の女性は、「昭和一ケタ生まれの我慢の精神」で、事件から8年間、ずっと黙ってきた。しかし、昨年秋の『リカバリー・サポート・センター』の検診を初めて受たところ、みんなに優しくされて明るい気分になることができたという。

 きめ細かい、フェイス・トゥ・フェイスの検診は、民間団体だからこそできることだ。国が費用を負担し、NPOが実務をこなす。それが国とNPOの一番いい形なのだが、今のところ、国からの支援はない。

 ところが、費用面でも実務面でも動いていないかに見えた国が、実はこっそり制度だけは作っていたのだ! 地下鉄サリン事件では通勤客の被害がほとんどだったので、労災認定を受けている人達がかなりいる。その労災認定を受けた人へのアフターケアの制度が、なんと存在した。つい最近『リカバリー・サポート・センター』がこの制度をつきとめ、今回の交流会で報告したのだが、参加した当事者達は、現に一人も知らなかった。厚生労働省のホームページに「サリン」「アフターケア」という二語のキーワードを入力して検索してみても、何かの会議の膨大な議事録が出てくるだけで、とても読めたものではない。制度だけ作って、それが必要な人達の耳へ届く努力を全くしていないのだ。“制度は用意した。利用申請しない方が悪いのだ”という役人特有の発想、まことに許しがたい。

 調べに調べた結果、財団法人・労災保険情報センターのホームページで、やっとこの制度の説明を見つけることができた。アフターケアを受けられる労働災害の一覧があり、「せき髄損傷」「慢性肝炎」「熱傷」といった16項目の羅列の一番下に、「サリン中毒に係るアフターケア」という記述があった。対象となるのは、「業務災害又は通勤災害(いわゆる「地下鉄サリン事件」)によりサリンに中毒した方」。労災保険の給付を受けた後も、目の縮瞳、筋力低下、記憶力低下、PTSDなどの後遺症がある人に対し、月一回の診断、投薬、カウンセリング、年二回の検査などを行うというもの。適用できる期間は治癒後3年間が原則だが、必要ならば延長することができる。せっかくこのような制度があっても、必要な人に知らせていなければ、まっっっったく意味がない。

 河野義行さんからは、長野県で今年度、犯罪被害者相談用の予算が600万円確保された、という情報提供もあった。しかし、この予算が実際にどのように使われるのか、果たして有効に使い切れるのかが課題だ。河野さんから、公的な金とNPOの人手をうまくリンクできればいいのでは、という提案がされた。こうした様々な知られざる制度をうまく掘り起こし、つないでいけば、貧乏な民間活動にも、もっとできることがあるかもしれない、と元気づけ合って、今回の交流会は終わった。

 『リカバリー・サポート・センター』に相談したい、活動を応援したい、という人は、03-5919-0878までご連絡いただきたい。事務局は平日午前10時半から午後6時ごろまで開いている。

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