放送ジャーナリズムの曲がり角

放送日:2002/11/30

今週月曜日、民放連(民間放送連盟)主催のシンポジウムが行われ、下村はパネラーとして参加した。シンポジウムのお客さんは、全国から集まった民間放送の幹部が主で、いわば業界の身内の集まりである。今日は、他のパネラーの方々のご承諾を頂き、この内容をご紹介しよう。

シンポジウムでは、分科会が幾つも開かれていたが、下村が参加したのは「メディア包囲網に対抗するには−放送ジャーナリズムの曲がり角」というタイトルのもの。タイトルからも、メディア規制法によって国民の知る権利が危ない!という内容であることは容易に想像は付くだろう。
確かに、メディア側のこの主張は正しいものであるのだが、ここでいう「国民」とは誰のことをさしているのだろうか?もちろん正解は「全国民」なのだが、視聴者の多くは「報道機関の知る権利」と捕らえてはいないだろうか?

これらの意見から、今回のシンポジウムは、まずは視聴者の意見を聞こう!という所から始まった。会場で流されたテープから一部抜粋して、ご紹介しよう。

「ほとんどどのチャンネルを回しても、北朝鮮の問題ばっかりですもんね。あれをやっとけば、とりあえずは視聴率を稼げるんじゃないかなと。見てる方としては全くワンパターンですし、面白くないですよね。」
「色々な人がコメントを付けますよね。コメントを付けると、ついその方向で見ちゃうし。そっくりそのまま放送して、良いとか悪いとはか視聴者が適宜判断しますから、というのが、マスコミの常識あるやり方じゃないのかな。」
「お家の前に押し掛けていったりとか、やってるところありますよね。それは不愉快ですよね。」
「もっと突っ込んだ意見を言って欲しいですね。そうすると、色々なニュース番組も個性が出て、いいとは思うんですけれど。」
「どこの番組に変えても同じような内容の番組ばかりやってる気がします。」
「本当に知りたい世の中の出来事が、30%くらいしか伝わってこない気がしますね。」

シンポジウムでは、こういう声を受けて、一方的に「メディア規制反対!」と声を挙げるだけではなく、まずはメディアが一面的な報道ばかりしている悪癖を直していくべきでは無いだろうか、という論点が出された。一つの出来事に対して同じような報道をするのではなく、各局眼のツケドコロを色々にして、報道して行くべき、ということだ。

ここから議論はさらに具体的になっていく。パネラーの一人、加藤タキさんは「既にローカル局では、そのような独自の視点を持った番組がある」という指摘をし、さらに弁護士のあずさわかずゆき氏、はっとりたかあき教授がそれに合流。下村が、現場の立場から、何故ローカル局に出来ることが全国で出来ないのか、それぞれ語る事となった。

加藤:
本当にいい番組がいっぱいあります。ですが、どれもこれも深夜の時間帯でしか放送されません。
ゴールデンタイムにやるのは、必ず有名人が絡み、スポンサーも沢山つく番組です。そうすると、どうしても甘い物になってしまいます。若い人向けの面白い番組も結構ですが、これから高齢化が進むにつれて、50代60代の本当のことを知りたいと望む視聴者がもっと増えてくるでしょう。マーケットリサーチをしっかりやって、そのような番組を埋もれさせずにきちんと放送していただきたいと思います。
あずさわ:
ドキュメンタリー放送を支えてきたのは、キー局ではなく地方局です。民法連賞の審査員でいつも話題になるのは、何故地方局がこんなに頑張っているのに、キー局からいい番組が出てこないのか、ということなんですね。
下村:
キー局は、全国の最大公約数を番組にしなければならない、という制約があり、尖った物もどんどん丸くなってしまうんです。経営者としても、加藤さんの叫びに対しては「そうはいっても、ゴールデンじゃできないよ」と言うしかないんですね。ですが、若者向けドラマよりも「水戸黄門」の方が手堅く視聴率を取れているという事実もあります。
ですから、徐々に実験をしていったらよいと思います。小出しで良いので、だんだん人がよく見る時間帯に放送してみたら良いんですよ。
石高:
テレビだけの努力ではなく、新聞に『こういう番組があった』ということを宣伝してもらうのも手です。全国紙に紹介してもらうことによって、知名度を高めるケースもあり得ます。結果として、他局も関心を持ち、放送をするようになる、というパターンもあります。

石高さんがここで説明したのは、自身が朝日放送で手がけられた一連の北朝鮮拉致問題のスクープの話だ。この北朝鮮報道問題については、次の私の発言を是非書き記しておきたい。

下村:
今一番危惧しているのは、被害者家族の方たちを各メディアが揃って持ち上げすぎていないか、ということです。過去にサリン事件被害者などの例があるように、同じ事をあまりにも長く訴え続けすぎると、社会から「いつまでヒーロー気取りしてるんだ、うるさい」という非情な反発の声が挙がって来るんですね。ですが、皆さんをかってにヒーローにしているのはメディアであって、ご本人達がそうしているわけではない。ずーっと持ち上げておいて、途端にぽーんと投げ落としてしまうということを、メディアは良くやってしまいます。その為にも、半歩引いたところから長く、持続した報道をやっていくことが重要だと思います。

シンポジウムの最後には、一人ひとりが一言ずつ、まとめの意見を述べた。そこで私は、次のように強調した。

下村:
お集まりの地方局経営サイドの皆さんに、2点申し上げます。1点目は、違う視点からの報道は商売になるんだ、ということです。毎週土曜日、朝の「サタデーずばッと」下村コーナーの視聴率をチェックしてみて下さい。ここだけ数字がぐっと上がっているはずです。
2点目は、この分科会のタイトルである「放送ジャーナリズムの曲がり角」の先には何があるか、ということです。これから10年ほどかけて曲がった先には、きちんと勉強したプロのジャーナリストと、ジャーナリズム論については知らないけれど自分達の感じたことをそのまま発表していく市民メディアとの共存時代が訪れると思います。アドバイザーとして回っている経験からすると、市民メディアの中には驚くべきドキュメンタリーが出来上がってきています。その時、既存の大手メディアが、市民メディアの良きアドバイザーとして存在していれば、共存時代を生き抜いていけると考えます。
つまり、「市民を味方に付けること」、これが、メディア規制網に対抗する最高の道だと私は思っています。
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