“The Guys”日本語版発売

放送日:2002/09/28

北朝鮮拉致報道への異議申し立て――という急を要する割り込みの為、1週離れてしまったが、前々回に引き続き、アメリカ同時多発テロ関連の話、第2弾。

The Guys テロ1周年当日である今年の9月11日、マンハッタンのブロードウェイ、オフ・ブロードウェイのほとんどの劇場は、臨時休館となった。いくつかは、通常通り上演している所もあったのだが、その中で1ヶ所だけ、いつもよりも大規模に上演されたものがあった。
“The Guys”(直訳すると「奴ら」)である。

そして、この脚本と、舞台裏のエピソードを載せた日本語の本が、今月出版された。こちらも『The Guys 消防士達 〜世界貿易センタービルは消えても〜』(平凡社刊 1300円+税)という題名である。この翻訳を分担し、脚本の中にもチラッと“日本人の友人”として登場する田中宏明氏に、国際電話で解説していただく。田中氏は、元TBSのスポーツアナウンサー。大学・職場を通じての、下村の後輩である。現在はニューヨークをベースに、フリージャーナリストとして活躍している。

−田中さんは、”The Guys”の作者であるアン・ネルソンさんとは、どういうお知り合いなんですか?

田中:
96年の9月から、コロンビア大学大学院の「ジャーナリズム学科」で勉強していたのですが、そこでの先生がアン・ネルソンさんだったんです。私の願書を選んで、採用してくれた人です。

−この”The Guys”ですが、ストーリーはどのようになっているんですか?

田中:
消防隊長のニックは、あのテロ事件で8人の部下を亡くしてしまいました。部下達の葬式が数日後に迫っている状況で、弔辞を書かなければならない。ですが、紙に向かっても一文も書けない。どうしようもなくなったところで、友達のつてを伝って、ある女性ジャーナリスト、ジョーンの所にやってきます。なんとかして別れの言葉を書きたい、ということで、二人で隊員達を贈る言葉を書いていこう、という劇です。ずっと二人の対話で、劇が進んでいくという形になっています。
この、「弔辞を書くのを手伝った女性ジャーナリスト」というのは、まさにアン・ネルソンさんが体験したことなんですね。9月11日から1週間ほどした頃、彼女が自分の妹の所を訪ねている際に、たまたま消防隊長から電話がかかってきて、アンは「今なら時間があるから」ということで、すぐに消防隊長が訪ねてきて、弔辞を書き始めたそうです。その時の実際の出来事が、この劇になったということです。
プライバシーを守るために、名前など一部分は変わっていますが、後の部分は全て事実に基づいたエピソードです。ですから、よりインパクトが強くなっていますね。

それでは、脚本の一部を、抜粋で御紹介しよう。

ニック隊長:
350人だぜ。いいかい、最悪の年でも、一年間にせいぜい6人くらいなんだ。それが、たった一日で、わずか一時間の間に。つまり、これから350の葬儀が行われるってことだ。
ジョーン:
弔辞はどのくらいの長さなの?
ニック:
そんなに長くなくて良いんだ。でも、何を話したらいいのか…テレビで毎日のように政治家が喋っている。あいつらのこと、ヒーロー、ヒーローって。でも、一体誰のことかさっぱりわかりゃしない。
ジョーン:
だからこそ、あなたがこのスピーチをするのが大事なんじゃない?さあ、ビルについて話して頂戴。
ニック:
ビル。そう、ビル。ほら、こういうのが難しいんだ。言うことがあんまり無い。映画に出てくる消防士みたいな、英雄的な話はないよ。ビルは、そういう感じじゃないんだ。普通の男さ、ぼそっとした。こんなこと、弔辞で言うわけにいかないじゃないか。
ジョーン:
大丈夫よ、心配しないで。つまり、ごく普通の人達が、異常な事態に巻き込まれてしまった。そういうことなんだから。
ニック:
ビルは、物静かな男で、自分のことは全然話さなかった。でも、アイルランド人であることを誇りにしていたよ。だから、消防士になったんじゃないかなあ。アイルランド人の血が、この仕事を選ばせたんだ。

−これが、完成して上演が始まるまでが早かったんですよね。

田中:
ほんとに早く出したい、というのが、この劇に関わっている人達の思いだったんですね。というのは、あのときニューヨーク自体が、街が破壊され、心が傷ついている人達がたくさんいたんです。ですから、早く出して、早くみんなに見てもらうことに意義がありました。実際にスタートしたのは、12/4の夜からです。劇場は、グラウンド・ゼロから7ブロックくらいしか離れていない、フリーシアターという所でした。

−そして、テロから1年目の日に、いつもより大きく演じられたということですね。

田中:
いつも上演しているフリーシアターと言うところは、75席しかない所なんです。ですが、一周忌のこの日は、劇をみんなで共有しようじゃないかという動きがあり、800人収容できる「リンカーンセンター」というところで、無料で上演されました。 チケットは正午から配布されたのですが、朝の6時半から並んでいる人がいるほどでした。

先程のシーンの少し後、実際に弔辞が一部分出来あがった場面。

ニック:
このところ、多くのヒーロー達の話を耳にしてきました。ビルもその一人です。人々のために人生を捧げてきました。崇高な行為です。しかし、ビルは物静かなヒーローでした。そういった行為を、見せびらかすことも、自慢することも、決してありませんでした。ビルが愛した物、それは家族、そしてニューヨークの街でした。あの日、何百何千という人命が、ビル達消防士によって救われたということを、皆知っています。それは、とりもなおさず、何千もの人々とその家族が、彼らのおかげでこの先も暮らしていくことが出来るということなのです。

ショーン: (間)それでいい?
ニック: ああ、実にいい、これならいい。これを見ながら、遺族の前に立って話すことが出来る。

田中:
消防隊長のニックは、このテロで直接影響を受けてしまった人、一方のジョーンは、直接家族や友人を亡くさなかったけれども、愛する街を残酷に壊されて心が傷ついてしまった人です。そうすると、あのときニューヨークにいた人達は、全てこの2人のどちらかに代表されることになります。

−これからも、ずっと上演は続いていくんですか?

田中:
そうですね。テロ一周忌の後、これからもどんどん展開していく予定です。開演当初は、去年の12月公演だけで終了、ということだったんですが、口コミでどんどんお客さんが入ってしまって、閉めるに閉められない状況になっています。 海外にも広がっていて、アメリカ国内ではロサンゼルスやシンシナティ、国外でもアイルランドで上演されています。映画化の作業も進んでいます。

声高な対テロ戦争のアピールとも、それに反対する議論とも違う、声なき「普通の人の悲しみ」が、アフガン同様ニューヨークにも存在することが、感じ取れる作品である。(国家としてのUSAがやっている事の是非論とは別問題として。)

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