五輪と米の愛国心/トリカブト無期確定

放送日:2002/2/23

【オリンピックと、米国流の愛国心】

ソルトレーク五輪も、いよいよ閉幕が近づいてきた。今大会は、凄まじいほどに米国の愛国心の発露が目立つ。 「テロの反動もあるから仕方ない」という見方もあるが、実はこれ、今回に限った話ではないのだ。 6年前のアトランタ五輪でも、現地で、私たち(中村&下村)は同じような戸惑いを多いに感じていた。

もともとオリンピックというのは愛国心を高める空気を持っているが、アメリカには特に、屈託のない、無邪気な愛国心を感じる。アトランタの場合、開会式の客席で肌で感じた“USA万歳演出”も露骨だったし、競技でも、選手の名前をコールする場内アナウンスの際、アメリカ選手の時だけトーンを張り上げたり「○○選手はこれに勝つと××を達成!」等の前口上まで付けたり…。(さすがにこれは、ある日の五輪委員会の定例会見で、外国人記者が「真剣勝負の直前なのに、不公平ではないのか?」と問題にしていた。)

公平であるべきスタッフでさえこうなのだから、一般観客の身びいきは、本当にスゴい。開催地で自国の大応援が起こるのは当然のことだが、アメリカ勢を脅かすような他国の選手の好プレーに対して、ここまで冷たくしなくても…という感じを何度も受けた。
アトランタで特に印象深いのは、シンクロナイズド・スイミングを、ソウル五輪メダリストさんと一緒に見ていた時のこと。彼女は、「私、ソウルでよかった。この雰囲気の中でやるのは、ちょっと…」と思わずホンネをつぶやいた。もちろん、米国人のお客さんに、全然悪気はない。邪念無く、ただ愛する自国を一生懸命応援している、というだけなのだが…。

アメリカに暮らして《一対一》で付き合っていると、あの国の人達の屈託無い愛国心、郷土愛は、本当に「憎めないなぁ」「いいヤツだなぁ」というホンワカした感情を、こちらに惹き起こす。だが、それが《集団》になってしまうと、あれだけ巨大なパワーを持っている国だけに、この屈託無さは、やっぱりちょっと怖い。

【トリカブト事件、最高裁で「無期」確定】

昨日(02/02/22)の朝刊各紙に、かつて大騒ぎされたある事件の判決確定のニュースが、小さなベタ記事で掲載されていた。―――それは、私が大いに関わることになった、「トリカブト殺人事件」。ついに、最高裁で上告が棄却され、神谷力被告の無期懲役が確定となった。

簡単に出来事を振り返ってみる。まず、最初の妻が急性心筋梗塞で急死。再婚した2人目の妻もまた急性心不全で急死。さらに3人目の妻・利佐子さんも、86年5月、友人と旅行中の石垣島で、急性心筋梗塞で死亡した。利佐子さんの死の直前、夫の神谷被告は2億円近い生命保険金を彼女に掛けていたが、不審に思った生命保険会社側は、支払いを拒否した。

利佐子さんの急死直後には、週刊誌などでも一部取り上げられたが、その時は、そのまま沈静化した。その時、神谷氏は『マスコミの中傷にさらされて――私の半生』という小冊子を作り、マスコミはいかにも私が妻を殺したように書いていてひどい、ということを訴え、《報道被害》を世に訴えた。今、あえて無期懲役確定というタイミングで、この事件報道を、その観点から振り返ってみたい。

一旦沈静化した事件は、その後、神谷氏が生保会社相手に起こした「保険金を支払え」という訴訟の中で、利佐子さんの遺体の血液中から猛毒トリカブトが検出された、という新事実が明かされ、再び激しく動き始める。神谷氏は90年11月、保険金請求訴訟を取り下げた。これが(今回の判決確定同様に)小さなベタ記事で報じられ、それをたまたま見つけた『ビッグモーニング』(下村がリポーターをしていた、当時のTBS系の朝番組)が内偵取材を開始、放送に踏み切った。それがたちまち各局のワイドショーに飛び火して、「トリカブト疑惑」などという名前がつく大騒ぎに発展してしまった。

当初、我々も「何かクサいな」とは思っていた。だが、もちろん神谷被告が殺人を犯したという確たる証拠を持っているわけではない。「こんなに騒いでいいのか?」ということを毎日考えさせられながら走る時期が続いた。私自身のスタジオでのコメントやナレーションでは、必死になって“疑惑”を抑えていく。例えば、毎回口火を切るときには、「奥さんを3人続けて心臓麻痺で失った、大変気の毒な方がいらっしゃいます。」というようにしたり。とにかく、VTRが明けるごとに、「まだ誰が犯人と決まったわけではありません」という趣旨のセリフを、くどいくらい念押ししていた。
だが一方で、番組全体のゲストやメインキャスターは、視聴者の素直な感覚を代弁するのが役割でもあり、「でもやっぱりアヤシイよね〜」という、ホンネ発言をしてしまう。そういう声に対して、「いやいや、ここまでしか判っていないんですから」と押し戻すのが、下村の役割だった。まさに、オセロゲームのような攻防。オセロが、両端を取ると間の駒の色を全部ひっくり返せるように、最初と最後に発言した方が放送全体のトーンの黒白を決めてしまう―――そういうことを、日々繰り返していた。

小冊子『マスコミの中傷にさらされて――私の半生』と当時の取材手帳 報道合戦が始まってしばらくしてから、神谷氏から下村に電話が掛かって来た。ここに、当時のボロボロの取材手帳がある。
「11月27日、K氏からTEL来。“しばらく姿を消します。でもこれくらいじゃへこたれません。3〜4年後には復活します。とにかく、落ち着いたら下村さんに連絡しますから。”」
この電話が掛かってきた後、実際に神谷氏は姿を消してしまう。その時は、本当に膝が震えた。これでもし、「私はシロだ」という遺書を残して自殺でもされたら、今回の火付け役となってしまった自分の責任を、どういうふうに考えたら良いんだろう?

しかし、各番組のイケイケドンドンは、神谷氏失踪後も続いた。同じTBSの別番組のワイドショーが、キャスターの横に「情報を下さい!」という専用電話の番号を掲げているのを見た時には、「まるで密告社会じゃないか! 幾らなんでも行き過ぎだよ!」と反発を感じた。

しかし、結果的には、この専用電話番号が、決定的な誘い水となった。ある地方の高山植物店の人が、「神谷氏がうちにトリカブトを買いに来た」という最重要通報を、TBSに寄せたのだ。さらに、「神谷氏が大量のフグを買いに来た」という漁業関係者からの警察通報も、テレビの大報道を見て関心を持ったことがきっかけだった。事実として、《大騒ぎしたこと》が、捜査の決定的な情報提供に結びついてしまった、ということになる。ウ〜ム…。

もちろん、我々には胸を張れるきちんとした調査報道の成果もあった。例えば、この事件最大の謎といわれた《時差のアリバイ》。利佐子さんが急変したときは友人と旅行中で、神谷被告はその場にはいなかった。その数時間前に、出発を見送って空港で別れているのだ。トリカブトの毒は飲んだら即効性なので、神谷被告側はその点を最大のポイントにして、「どうやったら私に殺せるんだ?」という主張をしていた。
これについては、『ビッグモーニング』に、当時この件で相談に行っていた学者の方から、ヒントが寄せられた。トリカブト毒とフグ毒は、一方が心臓の動きを《遅くする》ことで鼓動停止に追いやる毒で、もう一方は逆に心臓の動きを《興奮させる》ことでハートアタックを引き起こす毒である、という。これを両方うまく調合したら、症状を起こす時間を調節できるかもしれない、という仮説だった。早速、実際にその方の研究所に協力していただき、番組で実験をしてみたところ、「確かに発症時間を調節できる」ということが分かった。後に、判決の中でも、実際にこの論理は使われていた。

結局、『ビッグモーニング』で放送を開始してから7ヶ月あまりたった91年の7月に、神谷氏は殺人容疑で逮捕された。1審判決にはこうある。
「本件は、当初マスコミの報道が先行し、検察がそれを追うという特異な展開を取って社会の耳目を集め、一般社会に与えた衝撃にも軽視しえないものがある。」 ――非常に考えさせられる、マスコミ先行型の事件であった。 最高裁の決定で刑が確定した今、法治国家・日本の約束事としては、神谷被告はクロ、と認められたことになる。しかし、だからと言って、当時の報道姿勢を「結果オーライ」と見てよいのか?という疑問は、未だに自問自答している。

これからも、シロかクロか分からない“灰色”な事件は、絶対に起こる。その時に、「とにかく報道を始めてしまおう!」という組織判断が下ったら、個々の報道人は、どうするか。1件1件、真剣に考えて行かなければならない。我々がやる仕事は、あくまで《伝えること》であって、《判決を下すこと》ではない。今回のケースを弾みにして、何でもイケイケで良いのだ!と思い上がってはならない。

白い絵の具に、ちょっとでも黒を混ぜると、すぐ灰色になるが、そこにいくら白を混ぜ直しても、なかなか灰色から真っ白には戻らないのだから。

※トリカブト報道については、下記講演でもう少し詳しく話しています。 http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/STUDENT/junior99/junior99-shimomura.html

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