大震災から7年、学生新聞の取組み

放送日:2002/1/19

一昨日(1/17)で、阪神淡路大震災から丸7年。メディアや人々の関心が急速に薄くなってゆく中、被災地にある神戸大学「ニュースネット委員会」、関西学院大学「新月トリビューン」、神戸女学院大「K.C.Press」の3大学の学生新聞が、共同で震災特集を掲載した。
実は彼らは1周年の時から毎年共同で特集を組んでおり、一般メディアとは視点の違う、地に足ついた記事を発信している。
今年の特集の取材スタッフの1人、植中喬光(うえなかたかみつ)君は、「関西大学タイムス」の記者で、上記3部には属していないが、この特集企画の母体となった《関西学生報道連盟》(関西地区9大学の学生新聞部の連合体)のメンバーとして、取材に加わった。彼自身、長田区に住んでいて実際に被災しており、そんな個人的関心から、この企画を聞いてすぐに手を挙げた、とのことだ。

この特集記事によると、あの震災で死亡した大学生は、神戸大39人をはじめ、全域で111人。特集シリーズの当初数年間は、一緒に教室で学んでいた友人を突然失ったショックが、リアルな原動力になっていたと想像がつくが、7年経った今では、学生は既に全て入れ替わってしまっている。キャンパスでは、一般世間以上にすっかり“昔話”になっていそうだが、この特集記事は、『昔』ではなく『今』、ボランティア活動などで震災に関わっている学生たちに焦点を当てている。幾つか紹介しよう。

【1】総合ボランティアセンター

これは、最も被害が大きかった神戸大に、95年5月・・・つまり震災4ヶ月後、年度が変わってすぐに、発足している。

植中:
震災時には、全国から駆けつけた学生たちが地元住民と共に活躍し、《地域の中で学生が多様な役割を果たし得る》という可能性を示しました。
神戸大でも多くの学生がボランティアに参加しましたが、その後、新年度の授業が始まると徐々に引き揚げ始め、ボランティアの数が減っていきました。そのため、学内から「ボランティアの統一窓口」を望む声が多く上がり、その結果、当時大学では珍しい「ボランティアのコーディネート機関」として設立されました。

−コーディネートというのは、実際どんな活動をしているんですか?

植中:
発足当初は、センターに登録した会員にボランティア情報を提供していましたが、その後、仮設住宅、児童館、福祉施設などのセクションに分かれて本格的な活動が始まりました。ボランティアを必要としている人に対して、希望者のローテーションを組んで出動する方式になっています。
この組織は、発起人は4人でしたが、同じ年(95年)7月に40人、翌年(96年)には100人を超えました。今でも、80〜100人ぐらいが活動しています。

この記事の中で、発足当時の副代表である藤室玲治さん(現・博士課程2年)が、こう語っている。
「震災の時は高齢者、障害者、在日の被災者が多くいてまさに社会問題の縮図だった。その中で学ぶことも多かった。被災地において彼ら(ボランティア)が直面し解決しようとした問題は、ふだんからも地域社会に存在する。被災地で示されたボランティアの可能性を次代に伝えられないまま、震災救援で活躍したボランティアが消散してしまうことだけは、防がなければならなかった」

−この「取り組む問題は普段から存在している」という発見が、現在、活動領域が拡大する原動力になったのでしょうか。

植中:
既に7年が経って、もう仮設住宅はなく、入居されていたお年寄りなどは「復興住宅」と呼ばれる公営住宅に移られています。ですが、高齢者のために外に出にくいということなどがあるので、重い荷物を持つお手伝いであるとか、集まりなどがあったときに来られていない方の家を訪ねるなど、高齢者の方を支援する活動をしています。

【2】震災犠牲者聞き語り調査会

「1人1人の死について詳細な記録を後世に残し、1人1人がなぜ死ななければならなかったのかを解き明かし、犠牲者が私たちに残したメッセージを読みとること」を目的として、98年7月から震災犠牲者全てを対象とした聞き語り調査を行っている。現在までに記録された「死」は、約290人という。これも全て、大学生がやっている。

植中:
これは、神戸大学工学部と都市安全研究センターの3つの研究室の学生が主で始められ、毎年後輩へと引き継がれているものです。
遺族の方々も被災されていて、その地域に住んでいなかったりすることもあり、所在を知るのはきわめて難しくなっています。口コミを頼りに、地域を歩いて地道な情報収集をするしかないのが現状になっています。

−そうやって探し当てた遺族に、何を質問するのでしょうか?

植中:
当時亡くなられた方が被災した状況や建物・間取り、遺族の心境、生前のことなどや、震災の教訓を伺います。聞く人が一方的な質問ではなく、犠牲となった人の死に至る過程を自由に話してもらう形をとっています。

−会の名称が「聞き取り」ではなくて「聞き語り」となっている、ということは、聞いた後「伝えていく」ことにも、力を入れているということですか?

植中:
調べられた記録・資料は、「阪神・淡路大震災記念協会」のもとに保存され、管理されています。現時点では研究資料活用以外は非公開ですが、将来的には一般公開する方向で検討されています。これを元に、次世代への教訓や、風化の阻止に活用してほしいという強い思いがあるんです。

この記事には、メンバー学生のインタビューが掲載されている。
「私もそうだが震災を体験してない人は、ここまで大変なことになっていたことは知らないはず。犠牲者は数字でひとくくりされることが多いが、実際にはひとりひとりに人生があった。そういう人たちを記録に残したい」

【3】被災地情報を他地域に発信するミニコミ誌『まち・コミュニケーション』(まちコミ)

植中:
僕自身が取材に行き、スタッフの加藤洋一さん(明石高専専攻科2年)にインタビューしました。
加藤さんは震災当時、中3で、報道で被害の状況を見て、「地震でつぶれない建物を造りたい」ということが建築を学ぶきっかけになったそうです。現在は、都市計画や住宅政策の勉強をしながら、長田区の御倉地区、菅原市場の近くの地区での活動のお手伝いをされています。

−震災後にどういう街を造ったら良いか、専門家プランと住民の思いのギャップを埋める努力をしているそうですが、その方法がこの「まち・コミ」の場合、非常に地に足がついていますよね。

植中:
震災後、他の地域に移り住んでしまった人に、「元住んでいた町に戻って来たいか」と調査をしているんです。この活動を通じ「建築を学ぶと言っても建物を造るだけではなく、住民のコミュニティも重要である」と気付いた、とおっしゃっていました。

―――この他にも、色々な『今』の活動が紹介されている。
詳しくは、「関西学生報道連盟」のHPを!
 ⇒(http://www.unn-news.com/)ここでは、過去7年の特集全部が読める。

最後に、今回の特集記事の編集後記の一節より引用。
『震災はまだ終わってはいないのだ。「今からでも出来る事」。
それはすぐ近くにでも転がっているはずだ。』

年に1回報道するだけになってしまった我々報道機関としては、この学生さん達の地に足がついた日常活動には、本当に頭が下がる。