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光市母子殺害事件裁判報道は、あれでいいのか?

2007年7月18日

昨夜、ある異業種交流勉強会の席に、「報道よ、思い上がるな!」 というテーマで講師として参加した。“講師”と言っても一方的な講演の時間は全く無く、最初から、参加者達(約20人)が口々に提起する「報道に対して日頃から感じている疑問」に僕が1人で応戦していく、という“サンドバッグ”のような役割で、なかなかスリリングな3時間だった。

皆さんからぶつけられたのは、
●なぜ『赤ちゃんポスト』という、当の病院が使っていないネガティブなイメージの呼称を勝手にニュースで使うのか
●どうして何でも話を極端に単純化して報じるのか
●キャスターやコメンテーターが吐くコメントが、事実を言ってるのか意見を言ってるのか区別がつきにくく、ニュースなのかワイドショーなのか分からない
●なぜ視聴率などという、サンプル数の少ないデータにそこまで縛られるのか
---等々、常に視聴者の多くの方々が抱いている疑問のオンパレード。どれも、現在のTV報道が抱える根源的問題点を突くグッド・クエスチョンだったが、一問を除いて全てが、今までにもどこかで問われたことのある、典型的なものではあった。

そんな中に唯一、初めて耳にする質問があって、「オッ!」と、心に残った。「光市の母子殺害事件裁判の報道は、なぜワンパターンな見方しか伝えてくれないのか」という質問である。純粋に、弁護する論拠をもっと知りたいのに、《死刑廃止論者の弁護士達による過剰弁護》というトーンに報道の構図が決められているようで、その枠内でしか裁判が見えなくて不満だ、というのが、質問者の趣旨だ。

僕自身、これは、この裁判報道を見ていて(直接リポートしたことが無いので、一視聴者の立場としてだが)しばしば感じていたことだ。 もちろん、最愛の妻子を失った本村さんが、この弁護団に憤りや絶望を感じるのは、当然すぎるほど当然である。しかし、それと同時に、社会からの指弾に晒される位置にある被告人なればこそ、弁護団がその弁護に全力を傾注するのも、当然のことだ。それが、役割分担なのだから。

会見のような形式ばった場でなく、1対1でお話しした時に私が受けた印象でも、本村さんは本当に感情の制御ができる、素晴らしく冷静な方だ。僕が本村さんの《立場》だったら、あんなに冷静ではいられず、もっと激しく、弁護団を非難しているに違いないと思う。しかし、社会は色々な《立場》の人の役割分担で成り立っている。どんな場合でも、《アクセル》のある所には、か・な・ら・ず、《ブレーキ》も併設されていなければ、システムとして完成しない。そして、報道人という《立場》の者は、そのアクセルとブレーキの両方を伝えようとすることが、期待される役割分担であるはずだ。

こう論じると、「この弁護団が演じているのは、被告人の弁護という真っ当な役割分担ではない。“死刑制度反対”という主張に、この裁判を利用しているだけのグループだ」という、おなじみの批判が押し寄せて来るだろう。たしかに、この裁判での被告人弁護団には、死刑廃止論者がやたらと目立つ。「私は死刑《必要》論者だが、この被告に関しては死刑は相当でないと思う」という見解が1人でも前面に出てくれば、世間のこの批判は当たらない、ということになるのだが…。

しかし、ちょっと思い込みの枠組みを一旦はずしてみよう。何事であれ、《AだからBだ》という主張に対しては、正反対の《BだからAだ》という逆説も成立しないか、を一応思考実験してみる方がよい。「死刑廃止論者だから、当然、この被告を弁護しているのだ」と世間は批判するけれど、【この被告を弁護している者だから、当然、死刑廃止論者だ】という見方は成り立たないか? つまり、この弁護団は、世間から非難轟々になるとわかっているこの被告の弁護をわざわざ買って出るような性格の人達だから、「指弾の風圧が強いケースほど慎重に精査せねば」という考えの持ち主ばかりなわけで、だから「ところで、この裁判はさて置き、死刑という制度に対する見解は?」と問われれば、答えは皆揃って「反対」なのも必然---ではないか。そう考えれば、「初めに死刑阻止ありきで、その為に被告を弁護する理屈をこねている」という順序の見方は、根拠が揺らぐ。

あ~、しんどい! こんなに《頭》を巡らせず、自分の《心》のままに「私も弁護団や被告の言葉に怒りを覚えます!」とTVでコメントできたら、どんなに胸のつかえが取れるだろう。一個人としては、僕だって、それが素直な感情だ。けれど、少しでも報道の仕事に関わるという《立場》に身を置いてしまっている以上、僕は役割分担として、歯を食いしばってでも、こういう論を展開せねばいけないのだ。
---そんな葛藤を抱いていたからこそ、冒頭に書いた勉強会での耳新しい質問に、思わず内心「オッ!」と反応してしまったのである。