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長野の“さくら”

2008年4月28日

一昨日は、ハードだった。朝から始まる聖火リレーの直前実況生中継に備えて、その前日から入っていた長野で、何時にどこに到着するか不明の(本人達に訊いても分からない)中国人留学生達のバスを待って、夜通し情報収集&ロケハン(=下見)。午前4時頃から相次いで長野市内各所に着き始めた各地からのバスをカメラとマイクで出迎え、その映像を大急ぎで東京のTBSに伝送する。午前5時45分からは、リレーのスタート地点で『サタデーずばッと』の生リポートを何度も繰り返す。  …で、7時半に番組終了。普通ならこれでお役御免なのだが、この日はそこからスッ飛んで長野駅へ! 8時過ぎの特急「しなの」で一路、大阪の講演会場へ向かった。

車窓から目に映るのは、信濃の山々に点在する、満開の山桜。その自然美に見とれつつ、悲しい性か、僕は相変わらず頭の片隅で人間界のことを考えていた。 「さっき長野で僕が見たもの、あの殆どはサクラではない」―――と。

聖火リレーの沿道を埋め尽くした、恐ろしいほどの人数の中国人の若者達。彼らは、「チベット支持派による聖火妨害を阻止すべく動員された大軍団」というイメージで見られていた。確かに、何十台ものバスのチャーター費や、1人1人の参加者への旅費の補助、配布されたグッズの財源等を考えれば、これは“組織的動員”と呼べなくもない。しかし、彼ら同士が会話を交わす表情を見、実際に話しかけてみると、「組織に指示されたから仕方なく来た」という者は(少なくとも僕の見聞した範囲では)全然見つからなかった。皆、明らかに《自発的意思》でここに来ており、それを組織体がただ《バックアップ》している、という構図がそこにはあった。しかもその《意思》とは、「聖火妨害阻止」といった悲壮感ある決意ではなく、「念願かなった母国での五輪、その聖火を応援したい」というお祭り気分に近いものだった。

もちろん、「こんなに自国の政府の少数民族弾圧が政治問題化している最中に、お祭り気分だけでいいのか」ということ自体は、批判の対象となろう。それは“次の段階”の論点としては重要だと僕も思うが、 まずは“前提”となる現象の正確な理解として、彼らのほとんどは《政火》ではなく《聖火》を見たくて集まったのだ、ということは知っておいた方が良い。 こういう事を書くと、「読みが浅い。一見屈託の無さそうな彼らの背後を汲み取れ」といった、ワケ知り顔の批判をする人がすぐ現れる。そうした背後の存在を視野に入れることも確かに大切だが、それが全てだと過大評価しては、見誤る。《背景》に囚われ過ぎず《目の前》の現象をも素直に捉えることも、また大切だ。

だから僕は、聖火リレー直前の現場で、自分の目で見・耳で聞き・心で感じた事を、その場に行けなかった人達の《考える材料》の1つとして、とりあえず素直に伝えたい。 「長野で僕が見た中国人の若者達、あの殆どはサクラではない」―――と。