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70歳・双子姉妹、ソーホーで初個展

2000年7月29日

 世界のアーティストたちの憧れの地、マンハッタン・ソーホーのギャラリーで、今、絵の個展を開いている真っ最中の、日本人の双子のおばあちゃんがいる。通称「神戸のきんさん・ぎんさん」こと、細谷タカ子さん&柳原サユリさんだ。お2人合わせて140歳、どちらも身長140cm弱・35kgと小柄だ。神戸中央市場の中で一緒に喫茶店を経営するこの姉妹の共通の趣味は《絵を描く》こと。…で、自分たちの作品をホームページにしてみたところ、突然まったく縁もゆかりもないソーホーの画廊から、「うちで個展を開きませんか」という誘いが舞い込み、先週金曜から実現してしまったのである。NYにやって来たお二人が、底抜けに明るい関西弁で語ってくれた。

「ホントんとこ、私達の絵に、世界中に知れ渡ったソーホーのギャラリーから、『いっぺんうちでやりませんか』って声がかかると思います、普通? そんなもん信じられませんよ、突然ですし。いろいろ調べてもらったら、どうもホンマの話らしいな、ということで、それでもう有り難いこっちゃと思って、人生最後の花ですやん、これ。買おう思ったって買えるもんじゃないですやん。」

画廊での個展なので一応それぞれの絵に値札がついてるが、2人とも「絵を売りに来たんじゃなくて、夢を買いに来た」んだ、と仰る。個展のタイトルは「KOKI-KOKI EXIBITION」。古希古希とは、ブッ飛んでいる。

実はこの2人、70年の人生で、殆ど兵庫県からすら出たことがない。今までで一番の遠出は、「新幹線が珍しかった頃に一緒に行った、伊豆。」東京なんて、見たこともない。そんな2人ゆえ、「ソーホー」と言われても、実は、どこにあるかも知らなかった。

「ソーホーってNYにあんの。それぐらいの知識でした。絵描いてるからソーホーっていう名前は知ってました。倉庫街を改装してアーティストが集まって来てるんだって、その事はさすがに知ってたですよ。でもそこがNYの真ん中にあるとは思わなかったですねえ。マンハッタンの真ん中にあるとはねえ。地球のどこかにあるんやなあと。絵描き仲間の人達からは、運がいいと言われました。運一つです。この運をつかんでくれたのは、やはり、コンピューターなんですよ。」

おっしゃる通り、コンピューターが無ければ生まれなかった話…。でも、趣味で絵を描くおばあちゃんは珍しくないけど、コンピューターまで操れちゃうところがカッコいい! お2人とも、ハングリー精神がスゴイのだ。絵を描き始めたのも、40歳近くになってから。子供向けに絵を教える教室を見つけ、先生に直談判して夜のレッスンを頼み込んだ。

そして4年前の春、コンピューターで絵が描けることを知り、どうしてもやってみたくなって2人で1台ずつ購入した。説明書を読んでもサッパリわからず悪戦苦闘したが、良い先生を見つけて、また直談判でCG技術をマスターしていった。

しかし、コンピューターで絵を描けるようになっただけでは、今回の話は生まれなかった。ポイントは何と言っても、ソーホーから突然eメールが届いた、というところ。eメールが出来るようになったことが、この成功物語の重要な要素なわけだ。これは、「コンピューターおばあちゃんの会」に入って習得したと言う。「コンピューターおばあちゃんの会」というのは、コンピューターに興味を持ったおばあちゃんたちと、コンピューター技術に長けた指導員たちとの、全国規模のQ&Aネットワークである。

タカ子さんにとっては、このeメール習得が、大変な難行苦行だったそうだ。

「私あの、メールの出し方を習ったんですよ。さゆりはスグにマスターして、先生の所にビューと出すんですよ、メールを。ところが、私は何度やっても先生の所に着かないんですよ。どこが違うかわからへんのですわ。それでやけくそになって、3日目に、それこそ窓あければ届くような隣に住んでるさゆりに、「これであかんかったら、私はコンピューターやめるよりしゃーない」ぐらいに思って、教えられた通りにキチッとあれして、「ホンジツハセイテンナリ」ってカタカナで書いたんですよ。それで打ったらそれがね、ピューッと世界を回りましてね、ほんで---ホントでっせ、打ったら世界回るんでしょ、あれ。ピューッと世界回って、窓開けたら届くような隣の家のコンピューターにポンと入った、それが生まれて初めてのメール。感激でしたねえ。それまではいつも電話で、「メール届いてる?」「届いてへん」「また打ったけどどう?」「あかん」って何遍もやってね。愛想もクソも無く。」

私も今回の取材の打ち合わせで2人と何度かメールやり取りしたが、実は今でも、タカ子さんは両手の人差し指だけ使って、1文字1文字キーボードをポツンポツンと押しながら、ゆっくりゆっくり打っていらっしゃるそうだ。

「それからずっと絵描けるようになってメールも出せるようになったんですけど、結局、未だに“雨だれポッチン”って言うんですか、いちいち2本の指で。時間かかって、しゃあない。それの方の勉強も、これからせなあかんのじゃないかと。タッタッタッと上向いたままでね、あれカッコよろしいやん。絵を描く時にコンピューターの画面を見ながら手を動かすことは、それはアホでも出来まっせ。マウス使って描くとか、ソフト使って色々変化させるとか。プリンターが良うなったんですよ、カラープリンターが。ジェット式のヤツが一番新しいんですけど、あのー、リボン式のも捨てたモンじゃない色を出すんですよねー。あまりピカピカしない、はんなりした物が出来ますね。色合いが、はんなりしてますねんよ。」

お二人は、コンピューターを完全に自分たちの世界に引きずり込んで、自分の物にしている。コンピューター作品と聞くと、緻密に計算し尽くされた物で人間の手描きの"偶然の味"みたいな物が無い、という印象だが、この2人に掛かると、それも見事に逆の話になってしまう。

「自分の頭では出来ないような偶然の面白い変化が、バーンと目の前に出て来るんですよ。やった、と思うんですよね。自分の頭でとても考えつかないような事がパッと出てくる。これ利用しない手はない、というような。でも、そな事、計算して作らなだめなんですけどね。なんか誤作動で、「これどないして描いたん」「わかりませーん」ハッハッハ!手の内に入ってるなんてとても言えない。けど、偶然の面白さには、ようけ助けられましたよー。うん。だから今でも、「70歳でコンピューターやってんの、偉いわねえ」って言われるけど、出来るのは、コンピューターが本業とする表計算とか統計とか、何にも出来ません。コンピューターや言うけど、何もかも出来なくてもいいんでしょ? 私らはコンピューターを、えげつない言い方すれば自分のオモチャとして使いこなしてるわけでしょ。たったそれだけの事ですやん。それで、好きな事だから、なんぼでも出来るんですよね。無理してやってない。」

コンピューターに「使われている」現代人が多い中、お2人はコンピューターを軽やかに「使いこなしている」。お話ししてると漫才みたいで本当に楽しいが、よくよく考えると、とても学ばされる事の多い生き方をしていらっしゃる。「この次のステップは?ソーホーまで極めてしまいましたけど。」と聞いてみたところ…

「あとはちょっと暫く休みませんと、ボロが出るって感じ。ちょと、もう一度、体力だけでなく、気力も知力も皆貯金して、ここで人生の一段階。それが済んでもうちょっと自分の力を高めないと。皆さん過大評価をされましたから、ヘタに物言うたらこれ以上ボロが出るばっかしっていう感じですね。もっと勉強しなきゃダメです。日本に帰ったら、もう1度、一から絵の勉強始めます。私はね、もうちょっとコンピューターアート、アニメの入ったのやりたいなぁと一生懸命考えてます。インターネット這い回ってたら、色んなページにぶつかるんですよ。見事なのがありますねえ。あー、こんなんしたいなぁって。そっちに引張られてるんですけどね。ここまで来て細かい者みたいにチャカホコしたらね、それこそ、第2段階はええ物笑い、ってボロ出すと思いますよ。しばらくは静かにしててね、貯めに貯めて、まだ命があったらもう一辺ぐらいチャレンジしたいと思いますけど…。」

※文中の情報は、全て執筆時点(冒頭記載)のものです。