ホーム注目の人(エトセトラ)>前向きな堀江インタビューにしたかったのに…

注目の話題

前向きな堀江インタビューにしたかったのに…

2005年3月8日

 先週金曜(3月4日)、ライブドアの堀江社長に単独インタビューをしてきた。ちょうど3年前の同時期、当時キャスターをやっていた『ネクストステージ』(BSジャパン)に“20代で上場を果たした社長達”というテーマで1時間ほど出演してもらって以来、久々にじっくり話す機会となった。(この間、会見などの場で短く一問一答を交わす程度の接点は数回あったが。)
  個人的スタンスとしては、僕は堀江社長の相次ぐチャレンジを大筋で応援したいと思っている。ここで彼が(自滅でなく)旧弊の力によって潰されてしまうことは、彼にとってだけでなく、「後続のチャレンジャーがビビって登場しにくくなる」という意味で、悲しいことだと思う。そういう立場だからこそ、あえてここでは堀江氏に苦言を呈したい。

 世論調査などを見ると、今でも、堀江氏のチャレンジに対する世間の支持率は、なかなか高い。それでもプロ野球参入チャレンジの時に比べると、なんとなく今回は話がすっきりしないのはなぜか? あの時は「ここで参入すれば、パ・リーグが消えずに済むかも知れない」という誰の目にも分かり易い明快なストーリーがあった。今回は、彼が参入することで何が変わるのか、そこまで明確にはなっていないのだ。
  新しい世界にフロンティア・ラインを切り拓いて行きたい人間は、そこの先住者達と十分にコミュニケーションを交わすべきだと僕は思う。そんな融和主義は生ぬるい、力で勝てばよいのだ、という考え方もあろうが、余計な摩擦に費やすエネルギーを回避するという意味では、コミュニケーション努力は合理的な判断と言えるはずだ。

 堀江社長には、その努力がまだ不足している。先週木曜(3月3日)に出たニッポン放送の社員声明で「堀江氏にはリスナーに対する愛情が全く感じられない」と言われてしまったことなどは、その証である。(もちろん、声明が謳う「社員一同」というのは誇張で、全員一致などしているはずはないが、このように感じている社員が多く存在することもまた事実だろう。) 僕のインタビューは、この声明が出たあと最初のテレビへの登場機会だったので、大喜びで「リスナーへの愛情」を反証してみせるかと思いきや、堀江氏の対応は逆だった。彼は、僕がこの声明について言及しただけで、不快感を露わにしてこう言った。「だって、(今まで自分の事業が)利益を上げられてるということは、お客様が喜んでお金を払っていただいてるってことじゃないですか。それが証拠なわけですよ。商売がラジオに変わろうが何に変わろうが、同じなんですよ。」
  ---つまり、ここまでの業績が“顧客への愛情”の存在証明であり、それはラジオにおいては“リスナーへの愛情”に当然なるのだ、という論理。なぜそんな明白なことが理解されないのか、と彼はあからさまに苛立っていた。

 やっぱり堀江氏は、物凄く頭がいい人なんだろうな、と思う。こうやって《理屈》を示せば、全ての人が合理的に納得してくれる、ということを大前提にして、喋ることの範囲を決めているようだ。しかし、人間はもっと感情的な生き物だ。それに、今まで彼が相手にしていた「積極的にインターネットを駆使する人々」と、これから相手にしようとしている「そうでもない人々」とでは、話の受け止め方も全然違う。よその国に行ったら言語を変えるように、ここは言葉を変えなければ、「今までの話法で通じるはずだ」ではダメなのに。
  あまりに彼が頑ななので、僕はインタビューの中で、こちらから水を向けた。前述の社員声明には、「リスナーへの愛情」の一例として、ニッポン放送社員達が長年にわたって取り組んできたチャリティ番組のことが言及されている。それを指摘して「例えばこの番組は、ライブドアのネットと融合すると、どんな寄付集めの展開が可能になるのか」と質問したのだ。すると彼は、スラスラと《具体例》で答えてみせた。これなら、先住者達にもイメージできる。“言葉を変える”とは、例えばこういう事なのだ。

 確かに彼は、自社のサイトの中では、動画に登場してかなり丁寧な説明を行っている。しかしそれを見る人は、相変わらず「積極的にインターネットを駆使する人々」に限られる。面倒でも、一般メディアの番組で、例えば私のアホな質問に優しく易しく答えていくこと。それはきっと、逆風に対する防風林の養成につながるはずだ。