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世界移植者スポーツ大会、今日閉幕

2001年9月1日

 神戸で盛大に始まった、と先週お伝えした「世界移植者スポーツ大会」も今日が最終日。臓器移植を受けた人たちが世界中から集まって競技を行う、2年に1度の世界大会だ。実際に大会の様子を見てきたのでお伝えしたい。

まずは26日(日)の開会式、選手入場行進の様子から。国名のプラカード、国旗、選手がアルファベット順に堂々入場する様子は、オリンピックそっくりだった。しかし、49ヶ国・841人の選手たち全員が、移植を受けていなかったら今頃ベッドの上か、あるいはもうこの世にはいなかったであろう人達だ。そして、スタンドから手を振る選手の家族たち。アトランタ五輪の入場行進も下村は現地で見たが、今回の方が遥かに強い一体感を感じた。

入場行進で最後に入場したのは、開催国である日本。この時、会場からは一際大きなコール、大拍手が起きた。特に声援を送っていたのは欧米の人たち。これは、単に「地元だから盛大な拍手」というわけではない。脳死問題について、各国に比べて日本社会の抵抗感が非常に根強く、臓器移植が日本でいろいろと問題になっており、そんな日本で移植を受けるためには海外渡航も含めて大変な苦労を伴うことを、外国からの参加者はよく知っていて、そういった意味を込めて大喝采を送っていたのだ。

そして、入場を終えた選手たちが次に迎え入れたのが、ドナー(臓器を提供してくれた人)の遺族と、リビング・ドナー(生きているドナーの人)の人たちだ。

遺族の方々は、臓器を提供した亡き家族の写真をしっかりと手に持って歩く。殆どの人が涙を浮かべており、選手、客席、裏方のボランティア、取材の報道陣にも、涙ぐむ姿が見られた。ドナー家族の涙には、色々な思いが、ない混ぜになっている。大拍手を聞いて「むしろ複雑な気持ちになった」という人もいた。さらに、今までに日本国内で臓器移植が行われた16例の脳死ドナーの家族は、1人も参加していないという現実もある。実は下村も泣けてしまったが、そう簡単に「感動しました」で済む話ではない。

先週このコーナーに出演して下さった鈴木さんも、レシピエント(臓器移植を受けた側)の一人として、この輪の中に加わり、涙に詰まりながら代表挨拶をした。

鈴木: 「私たちのドナーは、現在、きっと、天国におられることと思います。尊い決断をされました、ご家族、そしてリビング・ドナーの方々、心から、皆様からいただいたこの命の贈り物、暖かい御厚情に、本当に心から、感謝を申し上げます…。」
本当に、心に染み入る開会式だった。

ドナー家族の入場行進の時、若い青年の写真を持って、スタンドに向かって手を振りながら歩く、野島さん御夫妻の姿があった。お2人の息子さんは、3年前、交通事故で20歳で突然世を去る。ご両親は、心臓停止後、腎臓二つを2人の方に移植することを申し出る。世のため人のため、という気持ちではなく、「息子にこのまま消えて欲しくなかった」ので急に思いついたのだという。入場行進が済んですぐ、お2人はこう述懐された。
母: 「私ね、今までよく泣いてたけど、もう泣かないと思います。もう泣いたらいけないと思います。だから、すごいいい経験をさせてもらった。やっぱり近所に移植した人もいませんし、移植に携わった人もいませんでしたので、実際どんなものか判らなかったから、すごく感動してます。すごく皆さん元気でスポーツされてるから。私、なんか子供が手を振ってくれてるような気がして、思わず手を振ってしまったんですけど…。だから、もう多分、息子のことでは、泣かないように頑張ると思います。ね、お父さん」
父: 「来てよかったです、ホント。来てよかった。感激してます」

-こうして、競技が始まった。最初の種目、ミニマラソンの、女子シニア3kmの部門で、大阪の但馬早苗さんが2位に入賞した。ゴールイン直後、呼吸が整ってからすぐにお話を伺った。

但馬: 「私も亡くなった方の腎臓いただいてるので、その方の遺族の方にもね、色んな葛藤あったと思うんです。もうホントに、これでホントに自分達の選択は良かったんだろうか悪かったんだろうか、そういう事いろいろ考えられながら来ておられると思うんですけれども、私の姿を見たり聞いたりしたときに、『あ、自分達の選択は間違ってなかった』と。私に腎臓残して天国に行ってくれた方も、私のこといつもどこでも見ててくれると思うんです。だから、『あ、あの子に腎臓あげてよかった』って言ってもらえるように生きたいなぁ、って思って。だから、もう、生きる時もしっかり生きるし、死ぬ時もしっかり死にたいと私は思ってます。」

臓器を受け取った方はよく、「自分だけの体じゃない」と言って、自分の生命・生き方に対して責任感のようなものを感じている。これほどまでに生命というのを正面からまともに考える経験は、人生になかなか無い。

さて、この大会のもう一つの立役者は、運営を支えた約2000人のボランティアだ。大阪大学医学部3年生の川端美紀さんは、次のように語ってくれた。

川端: 「叔父が二度、腎移植を受けて、興味を持つようになって。で、この大会のことを知って、ボランティアをすることで沢山の関係者に出遭えると思って参加しました。でも、私は《反対する気持ち》もすごく判って、祖父が脳死に近くなったことがあって、その時に、呼吸器を止める、だとか考えられなかったので、そう言う気持ちはそういう気持ちで大切にしたいと思います。で、もっと自分も成長しなきゃいけないな、と思うので、十数年後に、成長してから、移植のコーディネーターになれたらいいな、と思ってます」

川端さんは、臨床の経験を積むために、アメリカに勉強をしに行くつもり、と言う。彼女は、脳死の光と影の両面を見ており、それをしっかりと受け止めていて、実に頼もしい、と思った。

脳死は本当にデリケートな問題であるだけに、できるだけ多くの人に、たくさんの現場を見て、いろいろな立場の人の意見を聞き、感じて欲しいと思う。この大会はその格好の場となるはずだったのだが、この大会について、どれだけのニュースが報道されただろうか。こんなにも心揺さぶられ、同時にこれほどの深いテーマ性を持った話を、小さなニュースとしてしか扱えない大手メディアの状況は、とても残念だ。

※文中の情報は、全て執筆時点(冒頭記載)のものです。