ホーム注目のNPO・団体(セルフ・ヘルプの輪)>大盛況!臓器移植者スポーツ大会

注目の話題

大盛況!臓器移植者スポーツ大会

2000年7月1日

臓器移植を受けた人たちのオリンピックのようなイベントを見てきた。日本は脳死者からの移植が始まったばかりだが、米国は全く状況が違って、もう20年近く前から、各州に次々「脳死を人の死とする」州法が出来ている。脳死判定されて実際に臓器を提供したドナーの人数が、去年1年間だけで5843人いる。

他に、これよりはやや少ないが生きている人からの臓器提供(生体肝移植とか)もあり、御存知の通り、一人から複数の臓器が提供されるのが一般的なので、行われた臓器移植の件数で見るとさらに増えて、去年は年間で2万2千件弱ある。毎日平均60個の臓器が人から人へ移植されているという、日常的な出来事だ。心臓移植だけでも、年に2千件以上もある。

私が今持ってる車の免許証にも、「死亡した場合、私は次の臓器を寄付します」という欄が当然のようにあり、心臓・肝臓・腎臓・目…などと項目が並んでいて、自分で好きな所に印をつけるようになっている。

もちろん、米国でも万事順調ということではなくて、日本よりケタ違いに普及しているが故に現れてくる問題点もある。ただ、日本では、臓器移植はどうしても入口の「脳死問題」で議論が沸騰して、他のポイントが霞んでしまいがちなため、あえて今回はこのスポーツ大会を見ることで、「臓器を受け取った側」の人たちのその後、という点に焦点を絞ってお伝えする。臓器移植に賛成・反対いずれの立場を取るにせよ、光と陰の両面を見ないと議論は深まらないから。

-この大会はディズニーワールドの巨大なスポーツ施設を先週4日間借り切って行われたが、とにかく規模の大きさ、ゼッケンを付けた選手(つまり移植を受けた人)たちの明るさ・元気さ、堂々としたイベントの雰囲気に驚いた。

競技時間の前に、移植を受けた子供達に、移植をテーマとする童話を読んであげている人がミス・アメリカであったり、短距離走に出る人たちにグラウンドの片隅でスタートの仕方をコーチしてるのが本物のカール・ルイスであったり。一般の人でも「いいなぁ、楽しそうだなぁ」と憧れてしまうような大会だ。

そのカール・ルイスの号令でスタートした5kmレースの参加者は、2千人。ディズニーワールドの中の湖の回りを一周してゴールして来る人たちを見ていたが、移植を受けた6才の坊やがお母さんと手をつないで走って来たり、車椅子で走ってきた人が最後だけ降りて歩いてゴールインしたり、と、こんな嬉しそうなゴール・シーンは見たことがなかった。

今回見たのは原則的に米国内選手たちの大会だが、この2千人のランナーの中に、オープン参加の日本人で16年前に腎臓移植を受けた大久保通方さん(53才)がいた。大久保さんは腎臓の病気で36~7才で人工透析を始めた当時、「生存の平均年数は約7~8年」と聞かされ、幼稚園と小学生だった2人の娘さんの花嫁姿は見られないな、と覚悟していたという。そこまで追いつめられていた人が、腎臓移植を受けてからもう16年。今やこうして5kmを走り抜く別人に変身している、という現実がある。「臓器移植を受けた人って、命は取り留めても、なんとなく皆安静に過ごしているのかな」というイメージがあるが、実はこんなに活発になれる人たちもいるのだ。

もちろん、新しい臓器になじめない人も少なくない。アメリカの最新データでは、心臓移植を受けて1年後の生存率は86%、つまり14%の方は1年以内に亡くなっている。ただ逆に、もらった臓器にうまくなじめた人は、劇的に元気になる。大久保さんも、世間のそういう「皆安静にしてる」という思いこみに対して、「そうじゃないんだ」と強調した。

 

>大久保: 「ほぼ7~8割くらいの方は、元気に、普通の方と全く変わらない生活してます。体力的にも、私が5km出てるように、普通の人と変わらない。世界大会に出ると、11秒そこそこで100m走る人がいるとかですね、そりゃもう、全く一般の人と変わらないんだという事が、この大会を通じて知って頂ける。僕は、移植医療ってのは、単なる延命治療じゃなくて、その人の新しい命によって、新しい人生を歩む事の出来る、画期的な医療なんだというふうに、いつも思ってます。上の娘は結婚しまして、もう1歳半の孫がいます。まさか孫の顔まで見られるとは、夢にも思わなかったですね。」

 

このスポーツ大会の会場から車で4hほど南に行った所に、米国内でも指折りの臓器移植の先端病院の一つ、マイアミのジャクソン記念病院がある。95年からここで移植医療の実践に当たってきた加藤トモアキ医師は、現場で感じる実感を、次のように表現してる。

 

加藤医師: 「例えば、アメリカで肝臓移植を受けてもう6ヶ月後には5kmでも10kmでも走ってしまう状況がある一方で、日本では、殆ど全く同じ肝臓外科のレベルが有りながら、そういうレシピエント(=臓器を受け取る側の人たち)が、生体肝移植を受けるか、もしドナーがいなかったら受けずに亡くなってしまう、という状況がある。これをどう考えるか、という事だと思うんですね。ですから、私どもはレシピエントを治療する医者ですので、レシピエントの側だけから考えると、全く同レベルの病気で・全く同じ歳で、日本にいるかアメリカにいるかによって、生きるか死ぬかが変わってしまうという状況は、これはやはり早く改善されるべきだと思いますね。」

 

この病院には、日本からも、国内のドナーが現れるのを待ちきれない患者さんが移植を受けに行ったりしている。その一人・Kさんに、話を聞いた。この方は、2月にこの病院で腎臓移植受けた後、拒絶反応を抑える薬の副作用などの様子を見ていたが、だいぶ安定してきたのでつい先週日本に帰国した。

 

Kさん: 「このドナーから頂いた臓器を大切にしなきゃいけないっていう、まぁ一種のプレッシャーって言いますかね。前は自分で例えば好きなことをやって、ケガをしても、それは自分の責任だっていう、そういう“責任の一貫性”みたいなのがありましたけど、今度からは、要するに自分だけの物じゃない。例えば自分が勝手に、仕事をしすぎて臓器を痛めたりすると、それはドナーの方にも、いわば悪い事をしてしまうと言う。だからまぁ、ドナーと共に生きていると。ある意味では、ドナーの家族に対して自分は責任があると、そういう精神的な重さはありますね。」

“プレッシャー”という言い方をしているけれど、これはとても前向きなプレッシャーだ。特定の一人の人間と強い結びつきが出来る、それが一種の心の支えになる、という点が、移植医療の際立った特色と言えよう。そんな「ドナーへの感謝の気持ち」が非常に大きな要素だ、と言う事がよく現れていたのが、先程のスポーツ大会の開会式だった。

「ドナーの皆さん、ありがとう」の横断幕を先頭に、大選手団が入場行進して来る。続いて、脳死ドナーの遺族たちが並んで入場して来ると、客席の、臓器をもらった患者側の家族たちが、ずっと立ち続けて大きな拍手を送る。その華やかな、華やかな晴れ舞台の中を、ドナー家族たちは感激して泣きながら歩く。アメリカでも日本と同様、基本的にドナーの特定はされない仕組みになってるので、お互い「あの中のどこかに、自分の亡き家族が臓器をあげた人がいるかも」、「自分に臓器をくれた人の遺族がいるかも」と思って、見つめ合うのだ。

その大拍手を送る客席の中に、58才の鈴木マサノリさんの姿があった。鈴木さんはかつて、人工透析で殆ど歩くことも出来なかったのが、15年前アメリカに渡ってドナーの臓器をもらい、見違えるように元気になった。その時の感謝の気持ちから、日本でも臓器移植を普及させよう、と運動を始め、今は日本移植者協議会の会長を務めている。アメリカ人のドナー・ファミリーたちを初めて見ることができた、という鈴木さんは、この開会式について、感涙に詰まりながら、こう語った。

 

鈴木: 「ホント、びっくりしました。一言で言って、ビックリしました。それに、私のドナーが、アメリカ人の…(絶句)…1人なもんですから、もう本当に、会えて良かったな、と。勿論、どういう人だったのか、未だにわかりません。でも、ドナーの遺族の皆さんに会えたっていうのは、ホンットに嬉しかったですねぇ。同様に、我々レシピエントの側から見れば、誰かの家族の命を自分が受け継いでいるような、《究極のボランティア》というか、そういう人たちにスタンディング・オーベイションをして迎えることが出来るっていうのは、ほんと素晴らしいと思いました。」

今回は米国内大会だったが、実は次の世界大会は、来年神戸で開催される。世界数十ヶ国から、底抜けに明るい移植患者たち・脳死ドナーの遺族たちが集まって、日本人にカルチャーショックを与えるかもしれない。

※文中の情報は、全て執筆時点(冒頭記載)のものです。