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メディアが変える・既存メディアは変わるか

“誘導尋問取材”に気をつけて!

2005年2月8日

 先週、「中越地震と豪雪の複合災害」というテーマで、地元の長岡技術科学大学の上村先生にインタビューをした。先生は、地震で壊れた消雪パイプ(路面の積雪を溶かすために、主に道路の中央線に沿って敷設された、あの小さな噴水の行列)の復旧がほとんど間に合った事などを例に引きながら、「地元の行政は非常によく頑張っている」と強調した後、僕にこうボヤいた。「報道の人はよく、行政の対応の遅れを批判しようと最初から方針を決めて来て、なんとか僕からその線に沿ったコメントを引き出そうとするんですよねぇ…。」

  あぁまたか、と僕は思った。つい半月ほど前にも、阪神大震災の被災者団体の元・中心メンバーから、こんな嘆きを聞いたばかりだったのだ。「ある記者が、私が募金を使い込んだと決めつけて取材に来て、その先入観からしか質問しない。こっちの話は、全然耳に入れないんですよ…。」 こういう話は近年、本当によく聞かされる。取材に行く際、《何が焦点か》という方針を定めてインタビューに臨む事はもちろん重要だが、そこにこだわりすぎて視野狭窄に陥ってしまっては、情報収集の幅を自らグンと狭めてしまう。これは取材者にとって自殺行為だし、被取材者との関係では“他殺行為”にも、時としてなりうる。更に言えば、そんな先入観に染まった記者のリポートを、あたかも「客観的事実」のような幻想の中で見たり読んだりさせられる視聴者・読者にとっても、とんだ迷惑行為だ。

  自由記述問題よりも「空欄に当てはまる単語を埋めよ」という試験解答テクニックばかりを仕込まれて育った記者世代の台頭が、この現象を引き起こしているのかどうか、因果関係は分からない。しかし、ここまで頻繁に事例を耳にするようになると、今後最も憂慮される展開は、こうした取材被害の増大が知れ渡って、被取材者側が過剰な自衛意識を持ち、頑なな「取材拒否」に走るようになることだ。それで当人が守られるならまだいいが、先入観に固まっている記者は、「取材拒否するということは、やはり、やましいんだ」としか受け取らず、ますます迷惑な報じられ方をしてしまう危険性が高い。そこから更なる報道不信が募り、……という悪循環の幕が開く。

  取材被害の増大も、取材拒否の増大も、共に防ぐにはどうしたらよいのか。取材を受ける側の為の『自衛マニュアル』のようなものを作らなければダメなのかな、という悲しい気分にもなってくる。