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松下村塾

日本の市民メディア初の「開票特番」生放送を終えて

2007年4月9日

 『オーマイニュース』が昨夜3時間半近く延々と生放送した「都知事選開票特番」に、司会進行役として参加した。インターネットで、スタジオ(と言っても普通の事務所だが)と石原陣営と浅野陣営の3ヶ所を常時接続し、視聴者1人1人が手元のパソコンのクリックでいつでも好きな画面を選べるとか、画面の右半分をチャット表示にし、皆が放送を見ながらドンドン書き込みをしてスタジオ・トークに参加するなど、既存TV局の放送では出来ない実験に挑む番組だった。(詳しくは前回の当欄参照)

 既存TV局では当然とされる秒刻みのコンパクトな進行を、司会中、僕は完全に自制した。テーマを次々に変えながら飽きさせずに“ショー”として見せてゆく演出は、一切なかった。そんな既存局と同じ手法を採っては、《オルタナティブ》としてわざわざ発信する存在意味がない、というのが、市民メディアの一つの考え方だ。例えば、いわば居酒屋での勝手な放談(偏ったり・脱線したり・繰り返したり…)を、隣の席から結構面白がって盗み聞きしながら内心で頷いたり反発したりしているような、そんなマッタリした見方ができる番組だって、あってもいいのだ--という発想である。

 案の定、画面の半分を占めるチャット欄では、「つまらない。スタジオがぐずぐず」という批判も散見された。そういう人は、従来のTVのテンポに身体が合っているのだろう。しかし逆に、「面白い。NHKを消して、今からこっちだけ見ます」といった評価もあった。スタジオの粗末さも、「見た目が貧弱で信憑性まで揺らぐ」という人から「そこらへんで普通に喋ってる親近感を覚える」まで、賛否両論。どんなスタイルに惹かれるかは人それぞれなのだから、金太郎飴を脱し、“既存型”以外の選択肢も用意しようよ!それでこそ、市民メディアじゃん!という姿勢は、確かにあっていいと思う。

 と言いながら、結局僕も、22年の職歴で染み込んだ“既存TV型” 司会から、完全には脱け出せていなかった。スタジオのゲスト4人のうち3人が明確な石原批判派で、トークの流れが偏ってくると、「なんとかバランスを取らねば」という習性が、言葉の端々に中途半端に出てしまったのだ。これは、大反省。
  自由に言いたい事を言う市民メディアが、既存メディアじみた「公正中立」を標榜する必要は、全く無い。それどころか、外国に目を転じれば、既存メディアでさえ、選挙の際「我が新聞は○○候補を支持する」と明言している国だってある。要は、視聴者・読者側が鵜呑みにせずに、《発信者のスタンス》を織り込みながら情報を受け取れる訓練が出来ているか、という問題だ。浅野ガンバレの市民メディアも、石原バンザイの市民メディアも、あっていい。(言うまでもなく、僕は後者のスタンスの市民メディアでも、要請されれば喜んで手伝う。) 無難に枠内に収まらず、思い切り尖がった情報が多彩に発信されてこそ、多メディア時代の魅力は生きるのだから。

 振り返れば、TBS入社1年目に休暇を連発して『町田市民テレビ』(当時)の開局特番の準備&司会を担って以来、『笠岡放送』の特番の解説者、『東京視点』の対話番組司会、『ビデオニュース.com』のメイン番組キャスター代打、『ピースボートテレビ』の立ち上げ1週間のキャスター、『湘南.TV』や『ユビキタス村TV』や『インテブロ』への出演……等々、色んな場を体感してきた。先天的にマイナー志向が強い僕にとって、昨日の『オーマイニュース』は、今までで最も“メジャー”(笑)な市民メディアへの出演だった。
  8年前、TBSを退社して以来、僕は「市民メディア・アドバイザー」を本職と位置づけている。しかし、アドバイザーという安全地帯に身を置いて助言だけしているより、時々はこうして発信者と同じ地ベタに立って、一緒に泥まみれになる方が、市民メディアが抱える本当の苦悩や限界(そして遠くの希望も)が実感できる。

 “泥まみれ”などと言うと大袈裟に聞こえるかもしれないが、実際、昨夜の3時間半だって、正直言えばスタッフ全員(僕も含めて)、相当しんどかったんだぜィ。スタッフは素人ばかりで、台本なんて無いも同然。機械関係も、本番中にトラブル続き。オンエアの中で、スタジオのカメラマンに撮り方の指導をしたり、流し始めたVTRの編集が下手クソ過ぎて途中で見るのをやめたり…。
  こういうドタバタを演じている姿を画面にさらすことは、「下村健一」の大手メディアでの仕事をアレンジする立場の(株)セラフとしては、「やれやれ、商品イメージが…」と頭を抱える思いだろう。社長に申し訳ないとは思うけど、だが、市民メディアはこういう失敗体験を経なければ、成長は無いのダ! きっと既存の大手TV局だって、草創期はこんなもんだったんだろうと思う。だからこれからも、僕は彼らの懸命なトライ&エラーに、敬意をもって付き合い続ける。

 『オーマイニュース』は、今回の体験で多くを学んだ市民記者たち自身によって、次回以降の特番は切り盛りされていくだろう。司会役で僕がしゃしゃり出ることも、もう有るまい。次は、どこの市民メディアとの取っ組み合いが待っているんだろう?